会社への忠誠心

色々考えることがあったので書いてみたい。

社員が会社への忠誠心を持つことは有益だろうか?これは一概には言えないと思う。忠誠心が役に立つかどうかはその会社の企業文化や組織運営がどの様な構造になっているかに強く依存する気がする。少し考えてみたい。

縦割りの組織でトップダウン的に命令が下され、現場の社員に求められるのは会社の指示通りに動くことであるというような場面では会社への忠誠心は有用かもしれない。このような会社ではトップの方針が末端まで一律にいきわたり、それが厳格に守られることで期待する水準の商品やサービスが生み出される。軍隊式の組織とも言えるかもしれない。

例えば、このような例で思いつくのは、たとえば外食チェーンやコンビニなんかだろう。こういう仕事では本部の方針を厳格に守ることが全国どこでも同じ安心感のあるサービスを提供したり、ブランドを維持することにつながる。それぞれのコンビニが勝手に安売りを始めたり、独自のルートで仕入れた商品を一緒の陳列棚に並べられては困るわけだ。また、それぞれのテンポでは出勤シフトを組んでその通りに働くことが求められる。でないと、店舗スタッフに迷惑が掛かってしまう。

このような例ではトップや上司の指示に従って現場社員が動くと言う事がとても重要であり、であるからこそ忠誠心が求められる…と思ったが、いや、そうだろうか。これは別に守るべきルールを守っているという話であって、それを忠誠心というのはいささか大げさである。

というか会社への忠誠心とはそもそも何なのか。「会社 忠誠心」でGoogle検索するとなんだか否定的な記事がたくさん出てくる。多くの記事では自分が得られる報酬とは無関係に会社に尽くそうという気持ちや、あまり転職を重ねず一つの会社に長く務めることを「忠誠心」と呼んでいるようだ。企業は忠誠心のある社員を欲しがり、また、そうなるよう育てるが、一方で昨今の労働者は忠誠心を持つことはあまり好まず、どちらかというと報酬や待遇を気にするようになったという指摘などが書かれている。

であれば、忠誠心とは従業員に自然発生的に生まれるものではなくて、会社がいかに従業員満足という点を重要視し、それを向上させるために意味のある行動をしているかによって形成されるものだと考える。無償で会社のために尽くそうと考える人はまずいない。

普段、満足の行く給与をもらい、満足のいく労働環境で働き、満足の行く休暇を貰っており、やりがいのある仕事を提供して充足感を与えていれば、会社が落ち目になったときも「この会社は良い会社だ。私は多少給料が減ってもこの会社で働き続け、会社を元気にしたい」と思ってくれるかもしれない。そしたら、それは忠誠心が生まれていると言ってよさそうだ。

しかしながら、普段から従業員満足を軽視し、株主や顧客の利益が全てで従業員のことは単なる労働リソースだ、などと考えている経営者の元で社員の忠誠心は生まれないだろう。

私は基本的には個々人がそれぞれの利益を最大に追求することで結果として会社の利益になるような仕組みが構築されているべきであると思う。先の例で言えば、会社が社員の為を思って行動し、社員がそれに応え、結果として社の利益が大きくなり、株主へ還元できるという流れになっているのが理想だ。

まあしかしながら言うは易し。人間の多くは満足な状態にどっぷり浸かると努力しなくなるし、だからこそ経営者は労働者の尻を叩かなければならない場面もままあるだろう。皆が皆向上心を保ち、社会のために労働したいと思っているわけでは無い。働かなくても良いならば働きたくないと思っている人も大勢いる。私だってその一人だ。

ただ、会社が社員の忠誠心を欲するのならば、それは自然発生的に生まれるのを期待してはダメで、従業員満足という視点を加えないといけないとは思う。薄給重労働で職場の雰囲気も良くない状態で「会社に尽くせ」とか言われても、はぁ?なに言ってんのコイツって思うでしょう。

しかしながら忠誠心と従業員満足という二つをセットにして論じている記事というのは皆無であって、やはり私のような意見は少数派のようだ。皆、忠誠心は「忠誠心のある社員を採用することで生まれる」とか、「日本人の文化的側面の意味がつよい」とか、私には理解しがたいことを書いている。

ここで、改めてなぜ忠誠心を持つ社員が多いと経営者は嬉しいのか?ということを考えると、そりゃ、忠実な社員と忠実でない社員が居たら前者の方が指示を出しやすいからだろう。組織としてプレーするプレイヤーとして適しているからだろう。しかしながらその一方で従業員満足を重視する企業はあまり無いという事実。

結局は忠誠心に頼るというのは、従業員満足の向上と仕事のパフォーマンスの向上、社員へのフィードバックという好循環を構築する試みが出来ないことによる甘えだとおもう。あとは、たとえ競合他社の方が労働環境が良かったとしても「これだけ世話してやったんだからうちに残れよな」という暗黙的な拘束という効果を生み出したいだけでないかと思ってしまう。

以上をまとめると、「会社への忠誠心は従業員満足をベースにしないと成り立たない」が結論である。よし。で、ここからもう一つの言葉を考えてみたい。

これは先日、わが社の偉い人の発言。

転職に関する話題になったとき、弊社の某偉い人が次のようなことを言っていた、と聞いた。

「一度わが社を退職したら、二度とうちには戻ってこれないと思え。転職先でキャリアを積んでわが社に復帰して貢献する、という考えは通用しない」

私はこれを聞いた瞬間、はぁっ!?と思った。怒りに震えた。どこまで図太い神経してんだろうと思った。それを聞いた瞬間、津波のような怒涛の怒りが大脳新皮質を駆け巡り、何かをぶん殴りたい衝動に駆られたが、なぜ怒ったのかをうまく説明できなかったのだ。

先の議論を踏まえて、改めてなぜムカーと来たかを考えてみたい。

まずはじめに、「一度わが社を退職したら、二度とうちには戻ってこれないと思え」という点。私は人生の中で「一度やめた会社にまた戻ってきた」という例を、大企業の社員が子会社や関連会社への出向を命じられて戻ってくるとかいう例を除いて見聞きしたことが無いと思う。レアケースといって言いのではないだろうか。だからこの一文は、何言ってんだコイツとか思うものの怒りにまでは至らない。

やはり怒りが生まれるのは続く一文だ。

「転職先でキャリアを積んでわが社に復帰して貢献する、という考えは通用しない」

ここに「会社への忠誠心は自然発生的に生まれ、かつ、皆が等しくその気持ちを持つべきだ」という非常に傲慢な考えが凝集されている。さらに輪をかけて傲慢なのが、「転職先でキャリアを積んで戻ってくる」という、他社をあたかも教育機関か職業訓練学校のような扱いをしていることである。失礼だと思わないのだろうか?

自分の会社では従業員が長く働くのが当然だという考えを持っておいて、転職先ではキャリアを積んだら戻ってくるという方法もある、と考えているのはダブルスタンダードである。自己矛盾である。うちは良くてよそはダメなんて幼稚な考えは社会では通用しない。

上記の私の解釈が的外れで、単にこの発言は「(先方に失礼なので)転職先でキャリアを積んでわが社に復帰して貢献する、という考えは通用しない」という意味だ…という可能性はほとんど無いだろう。前文の「一度わが社を退職したら、二度とうちには戻ってこれないと思え」というのは、転職者を裏切り者であるかのように扱っている。続く文章で一転して「社会へ迷惑をかけちゃいかん」と諌めるような無いように変化するのはどう考えても変だ。やはり「例えわが社のことを思っての転職だったとしても許さん」という主旨としてとらえる方が自然だ。

というわけで、どう考えても私は

「一度わが社を退職したら、二度とうちには戻ってこれないと思え。転職先でキャリアを積んでわが社に復帰して貢献する、という考えは通用しない」

などという考えに対しては全然、まったく、びた一文も、これっぽっちも、100歩ゆずっても、42.195km分譲っても、1ppmも、1pFも、1プランク定数分も同意できない。「誰が戻ってくるか、うるせーハゲ」って感じである。

以上、ご査収ください。