キツイ方に基準を置いて「支えあう」のはやめよう

最近よく思う事があるので書いてみる。

現代日本人は(現代日本人に限った話かどうか不明だが、とりあえず現代日本人としておく)、キツイ方キツイ方に身を寄せて我慢することを美徳としているのではないかと思う節があって、この記事を書いた。

こないだ、家でビールを飲んでいる時にふと「玉音放送が聞きたいな」と思った。なんでビールを飲んでいる時にふと玉音放送を聞きたくなるのか。おかしいのではないか。と思われるかもしれないが、元来私は酒を飲むと思索にふける癖があるので仕方ない。

で、玉音放送の一番有名なフレーズは「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という一節であろう。米国の占領支配下、焼け野原になった都市の復興をするにあたって大変な苦労があったことは想像に難くない。旧来体制の崩壊と国家の再建、まさに激動の時代であった。

それから何十年かたって日本は再建を果たし、先進国の一員として裕福な生活をしている。しかしながら昨今ではSNSやブログ等々を見ると日本人の若年層を中心とする多分30歳前後までの世代での世界観、将来観は非常に暗いように思えてくる。恐らくその背景にはバブル崩壊後の「失われた20年」を生きてきたことがあるんじゃないかと思う。

少なくとも私はそうだった。中学生くらいの時から「いい学校を卒業しても今時仕事なんか無いからね」「公務員で一生勤めるのが最善、二番目に良いのが大企業で正社員として働くこと」などと教え込まれてきた。高校生になったときにはもうすでにフリーターや派遣労働が社会問題化していた。私は田舎の出身だが、その町一番の優良企業で大量の雇用を生み出してきた電子部品製造工場の経営が傾きはじめたあたりから世界はいよいよヤバいのだな。と思うようになった。

特に就職氷河期などと言われていた2005年くらいまでの時期は、自分の周りでも「正社員になるなんて欲張らず、まずは契約社員で入社して正社員登用を狙うべき」なんて言っている人もいて私は暗い気分にしかならなかった。

ただ、私が実際に就職活動をしていた時はちょうど売り手市場だと言われていた時で、何社も内定を貰えた。しかしそのあとすぐにリーマンショックが発生、世界はまたどん底に陥った。内定切りが頻発し、卒業の直前にまたもや就活を始めなければならないという人が続出。リーマンショックの傷が癒えないまま、さらに追い打ちをかけるように2011年には震災があり、雪が降りしきる中人々が毛布に包まって体育館に身を寄せて避難しているシーンが何度も放映された。

こういう時代を生きてきた人々に希望を持てと言われてもまあ無理だろう。私自身書いていて、そりゃそうだよ、希望なんか持てねえよ…という気分になってきた。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という時代が再来したように思う。

しかしながら、戦後と現代で決定的に違うのは向上心という点ではないか、と思う。戦後も環境は良くなかっただろうが「戦争」という最も辛い時代が終わり、これから社会は明るくなっていくという希望があったはずだ。実際、戦後すぐの時代一番売れた本は英語の入門本であったと聞く。米国の占領政策が始まるのだから、必然的に英語が必要になる機会は増える。そこから生まれるビジネスを狙えば一儲けできるかもしれない…という考えで買っていたのかどうか分からないが、少なくとも新しい事を始めるモチベーションと向上心が広く満ちていたという風に言えるのではないだろうか。

対して現代では、私はこの向上心がまるで感じられないと思う。これが今回の記事のメインテーマとして書きたいことだ。「支えあおう」「協力しよう」的なことをよく口にするが、そこに向上心が伴っていないために結果として足を引っ張り合っていたり、奴隷が足かせを自慢したりするような感じになってしまっているように思う。具体例を示そう。

  1. 次のような4コマ漫画をネットで見かけた(ソースは失念してしまった)。
    a. 「お疲れ様でしたー」
    b. (なんであの人は忙しくても定時で帰るのだろう…。メンバが一人退職して忙しくなったのに)
    c. (なんであの人は定時になっても仕事してるんだろう…。メンバが一人退職して忙しくなったのに)
    d. 「今の人員で仕事をこなしてたら人員補充なんて無いよ」「あ、そうか」

  2. プロジェクトの予算に関して以下のようなやり取りを行った経験が多々ある。
    私「この機能の実装は契約範囲外です。次回の開発で正式に予算が付いてから実装しましょう」
    上司「やればすぐ出来るんだからやればいいじゃん・・・」

    客「この見積もりは高いです。もっと安くしてください」
    私「高く無いです。内訳は何々です。安くするのであればたとえば、A機能を落とすとか…」
    上司「いや、安くします」

  3. SNS上での会話
    「4月から仕事が始まるのですが、その準備期間に子供(二人目)を預ける先が無くて困っています。」
    「なんで子供を預ける先も確保していないのに子供作ったの?馬鹿じゃない?私は無理しないで二人目つくらなかった」
    「そんなことで二人目を産むのをあきらめないといけないんですか?」
    「とりあえずあんたが何も考えず子供ポコポコ産む無計画な女という事はわかった」

  4. わが社で次のような二つの提案があった。
    a. 「喫煙者は1時間に1回喫煙をする。その都度約10分が無駄になっている。1日で合計で80分も無駄になっている。わが社が昨今の情勢を鑑みて率先して全社で禁煙に積極的に取り組むべき」
    b. 「パソコンを使用した事務作業では一日中PCを注視することになる。しかし、厚労省のVDT作業指針では1時間につき10分~15分の休憩が推奨されている。その様な時間を設けるべき」

1.のケースはどうだろうか。私はとてもごもっともな意見であるとおもう。

誰しもが、期限内に仕事が終わらずに頑張った経験があるだろう。その行為が常に悪だとは思わないが、同じことを続けて頑張ることが常態化してしまったらそれ以上楽には決してならない。無理なときは無理だと明確に述べなくては人員は追加されない。

2.も同様だと思う。顧客のため、という錦の御旗を振りかざして自分たちが辛くなる、我慢することをずっと行っていればいつしか我慢する状態が普通になるどころか、顧客の要求はエスカレートしてさらに開発はしんどくなるだろう。そもそも顧客のためを思って仕事をするというのは顧客とのリレーションシップを良好に保ち、継続的に仕事を貰う事で会社が持続し、自身の生活も持続するという効果を狙って行うものであるから、顧客のために自身の生活を犠牲にして毎回デスマーチを突き進むのは本末転倒である。

3.も良く見られる光景だ。世間や周囲の人に迷惑をかけまいとして自分が我慢するのは勝手であるが、それを人に強要して他人のモチベーションを削いだりするのは良くない。常識人のふりをして実際は足を引っ張っているだけだ。

4.は少し意見が分かれるところかもしれないが、私は「禁煙の推奨」と「休憩時間の確保」の二つの問題をごっちゃにしていると思う。

例えば「喫煙」を「コーヒーブレイク」に置き換えたらどうなるか。1時間に10分のコーヒーブレイクがある会社になる。良いではないか。厚労省の指針を守り、定期的に休憩を取り目の健康を確保するとともに集中力を持続させて生産性を低下させないようにするための先進的な施策と思えないだろうか。私は少なくともそう思う。こういう試みはやってみるべきだと思う。

はっきり言ってしまえば、「喫煙で10分無駄にしている」という考えは「喫煙という好ましくない行為によって1時間に10分も休むのは許せねえ。ちゃんと働け」という主張がその背景に見え隠れする。これは休憩してるのが許せねえ、という考えを喫煙しているという事実を利用して正当化しているだけだと私は思う。

であるから、「禁煙を推奨し、禁煙治療にかかる費用を補助しましょう。と、同時に1時間に一回の休憩を取るよう、上司が率先して推奨・行動しましょう」が最も良い提案であると思うがいかがだろうか。

以上をまとめると、「良い状態にある人」、「良い状態になりつつある人」、「良い状態を目指している人」に対して「良くなるのは許せねえ」という主張が昨今高い頻度で目にする感じがしますなあ、という感想になる。

これを踏まえて私が主張したいことは、とてもシンプルだ。足を引っ張り合うのではなくて、みんなで幸せになろうぜ、という事である。

みんなで低い位置で我慢するのと、みんなで楽に生活するのと、どちらが良いだろうか。私は圧倒的に後者の方が良い。皆が手を取り合って楽に、豊かに、幸せになるべく活動するのは人間の欲求や本能から考えても自然な考えだ。もっとやりたい事やろうぜ。と、思う。