「火星の人」読了

まさか、こんな素晴らしい作品を見落としていたとは。

最初、映画「オデッセイ」のCMを見て私はなんか面白そうな映画だなと思ったが、心からそう思ったわけでは無かった。「オデッセイ」が「ゼロ・グラビティ」とよく比較されていたからだ。世間の評価は知ったこっちゃないが、私の「ゼロ・グラビティ」に対するSF映画としての評価は限りなく低い。レンタルDVDで見たが、劇場まで行かなくて正解だったと思った。

あれは宇宙を舞台としたアクション・ムービーであってSFの範疇には入らないと思う。実際の宇宙船や内部の機器を参考にしてリアルに仕上げるのに苦心したというが、一方で科学考証は全く置き去りにされている。・・・と言うと、「じゃあスターウォーズやE.T.は科学考証されているのか」と反論されそうだが、あれはSFの中でもジャンルが違う。両者は人類の想像を超えたオーバーテクノロジーを描くのと人類が現在でも手が届くような世界を描くという点で決定的に異なっている。スターウォーズにおける考証とはなにかというと、は設定に矛盾が無い限りは現代の人間が想像できる未来を描くならば最低限の科学考証はすべきだし、それがストーリーや演出を制約してしまうならば、都合合わせのために仮想的な概念や前提を置いてしまうべきである。

私と同様に「ゼロ・グラビティは科学考証が足りていない」という意見を持つ人は少なからずいるようだ。

『ゼロ・グラビティ』の科学考証がおかしいところ
NASAが激怒、協力拒否!映画「ゼロ・グラビティ」は嘘だらけ!

科学考証が足らないと何がアカンのかというと、興ざめするのがアカン。一気に「この世界は作り物だ」という気持ちが芽生えて広がっていき、映画に没入することが出来なくなる。一度そうなるともはや残された時間は映画のあら捜し作業へと変わってしまう。もちろん、科学考証が足りなくても楽しめるひとは楽しめるだろう。そういう人たちに言わせれば、科学考証云々という人は偏狭な人たちなのかもしれない。しかし誰が何と言おうとSFファンはそういう生き物だし、その作品を楽しむ権利もあれば、クソだと表明する権利もある。

「オデッセイ」も同じようにSFファンの心をひきつけるようなCMを打っておいて、実は科学考証の足りないガラクタなのでは…。という不安があった。が、調べてみると「オデッセイ(原題:The Martian)」は同名の小説「The Martian」が原作であると分かった。原作があるならば、もしかしたらでたらめな映画というわけでもないのかも知らん、と思ってさらに調べてみると、「The Martian」は「火星の人」というタイトルで邦訳されていた。

なぜ「The Martian」が「オデッセイ」になったのかは分からない。ホンダもちょうどオデッセイをモデルチェンジしたのでホンダが絡んでるのかも知らん。邦訳された小説は直訳の「火星の人」となっている。これだと男性諸君の中には別の火星を思うかべるかもしれないことが理由だろうか。そんなこと気にして映画のタイトルを考える人がいるだろうか。分からん。

「The Body」が「Stand by me」になったのは有名な例である。英語圏の作品は簡素なタイトルが多く、それを日本に持ってくるときにもう少し味付けしてやるというケースもまた多い。SFでの同様の例は「moon」が「月に囚われた男」になったケースだろうか。これは説明的すぎる割に映画の内容をうまく表現できていないように思う。そして今回の「オデッセイ」は抽象的かつ一般的過ぎる言葉でイメージがつかない。これならば「火星の人」で上野クリニックを連想したほうがまだマシなようにも思える。タイトルを決めるのは本当に難しい。

で、ここからが本の感想です。前置きが長すぎる。

まず何より、話にとてもリアリティがある。良く似たノンフィクション小説に「大西洋漂流76日間」がある。これは著者が乗ったヨットがクジラと思われる物体と衝突、救命用のゴムボートに乗って76日間を生きながらえた記録だ。「大西洋漂流76日間」では飲料である水をどうにかためこんだり、食料を獲ったり、破けたゴムボートを修復したりするのに限られた材料と道具を使って試行錯誤する様子が詳細に記されている。「火星の人」はもちろんフィクションではあるが、「大西洋漂流76日間」に負けないリアリティがある。実際、映画を見た米国人の1割弱だったか、その程度の人がこれは現実に起こった話だと思っていたそうだ(なぜ統計に出てくる米国人はこうも馬鹿なんだろうという疑問はさておき)。

また、当然といえば当然なのだが「アポロ13号 奇跡の帰還」にも似ている。フィクション・ノンフィクションの差はあれど同じNASAという組織が中心に扱われているので似ているのは当然だろう。というか、限りある材料・道具を使ってなんとか生き延びようとするという点については一致している。そして、「アポロ13号 奇跡の帰還」と比べてみても劣ることのないリアリティがある。

このリアリティさの陰にはやはり正確な科学考証があってのことだと思う。何故作者はこれほどまでにリアリティのある話を書くことが出来たのだろうか。調べてみると、作者であるアンディ・ウィアー氏は米国在住で幼いころからSFファン、15歳でサンディア国立研究所でプログラマーとして働き始め、大学卒業後も多くのソフトウェア会社で働いているということであった(Wikipediaより)。そして本作「The Martian」は自身のブログ上で連載していたものを電子書籍としてKindleで販売したものだそう。

なんと…。まさに新世代の小説家といった感じだ。また、実際に本を読んでいてテーマの割にはソフトウェアの話題が登場する機会が多いなと不思議に思っていたが、作者がソフト畑の人だったからか。

Wikipediaを見るとソフトウェアの経歴しか書いていないが、もちろん一般的な工学の広いバックグラウンドがあるのだろう。でなければあれだけリアリティのある話など書けるわけがない。結局、人間が想像できることは自身の経験に束縛されるものだ。少しネタバレになってしまうが、主人公がうっかり回路をショートさせて機器を壊してしまうシーンがある。マイナス側の電線しか焼けていないことから何が起こったか考察する場面があるが、その考えを頭の中でめぐらせる流れなどは実際に経験したこととしか思えない(本当に経験したエピソードなのかもしれない)。私も車に乗せたオーディオアンプとウーファーをショートさせてしまった時のことを思い出した。

物語の中で主人公が何かにチャレンジするたび、主人公は必ず計算して理論的に正しい見積を導き出す。もしそれと一致しない場合は、なぜ一致しないのかを推論し、仮説をたて、検証を行う。このプロセスは一般的な科学実験と等しい。このような検討を重ねることによって必然的にきちんとした科学考証が成り立っていく。

ただそれでもほんの少しの疑問はあった。重箱の隅を突くような指摘だが…。これも少しネタバレになるが、カーボン繊維のキャンバス地によって気密が保たれた空間に水素が充満して爆発の危険性があり、それをどうすべきか悩むシーンがある。主人公はまず酸素を回収し、その後水素を少しずつ燃やしていくのだが、そんなことしなくても水素分子は小さいので放っておけば外壁(キャンバス地)から抜けていってしまうと思うのだが…。ただ、主人公がその事実に気づかなかったという可能性もあるし、気づいていたとしても危険性の無いレベルまで抜けきるのはいつになるのか待っていられないと判断した可能性もある(そもそも検査設備が無いので抜けきったかどうか判定する方法は爆発するかどうか試してみるしか無い)。だから科学的におかしいとまでは言えない。

その他にもいくつか疑問に思うところはあったが、作品全体の楽しさを損なうような類のものでは決してなかった。

と、まあリアリティがあるということを述べてきたが、それだけで勝手に良い作品に仕上がるわけではない。「火星の人」の場合は主人公の性格が素晴らしい。火星にたった一人残されて絶望的な状況であっても主人公は決して悲観的にならない。様々な嫌がらせを火星から受け、それでもへこたれない。そして、常にギャグを言っている。このために作品全体の雰囲気は緊迫感があるというよりかは、むしろ明るい。また、先に述べたように主人公は常に理論を構築し、仮説を立て、検証を行っていく。その過程においても変な理屈っぽさや堅苦しさのようなものも皆無である。私はこのような作品をおそらく始めてみた。SFというと堅苦しいとか設定の説明と解釈に時間がかかるとか、そんなイメージがあるがこの作品は全く違う。まさに新風といった感じだ。

とにかく私は一瞬でこの作者のファンになってしまった。今度はKindleで原版(英語)も読みはじめた。

あとは映画も見に行きたいが…。残念ながら時間がなかなか取れない。