私が会社を辞めるのを決断した10個の理由

ただの愚痴だけど、書いてみる。

1.今の会社は働いた時間に応じて評価される

私が唯一信用できる評価軸は報酬である。報酬が従業員への評価の大きさであると思っている。今の会社は残業代を全額支払う。一切サービス残業は認めない。コンプライアンスを重視する現代の会社であれば当たり前の措置である。

しかし何人かの人は思うだろう。「残業代がでない会社もあるのに、何が不満なんだ?」と。端的に言えば、それは「生活残業」者を生み出すことにつながり、ひいては企業の労働生産性が極端に落ちるのが問題だ。生活残業とは何か?これは生活費がある程度の残業手当を見込んだ給与をベースに成り立っており、残業代がゼロであると生活していけなくなるような状態にある人が文字通り生活を成り立たせるために実際は忙しくも無いのに残業する行為のことである。

私は思う。なぜ仕事を早く仕上げ、さっさと切り上げて早く帰る人よりもだらだらと遅くまで残っている人の方がより評価されている(=高い給与を貰っている)のだろう?これにはまったく合理的な理由が無い。

会社とは

  1. 残業代未払い。サービス残業が横行している
  2. 残業代はしっかり払う。その代りに労働生産性が落ち込んでいる
  3. 正しい人事評価をベースとした給与(年俸制など)で給料を支払う。労働生産性が高い

の順に良くなっていくのではないか、と漠然と思っている。つまり私は2が出来ている会社から3が出来ている会社に転職したくなったということである。

一応誤解の無いように言っておくと、年俸制であれば企業は残業代を払わなくても良いという事にはならない。給与に残業代をあらかじめ見込んで加算おくことを「みなし残業」などと呼んだりするが、このみなし残業分が実際支払うべき残業代を超えたら超えた分は払わないといけない。また、私は残業代を無くせと違法なことを主張しているわけでもない。

2.と3.の本質的な違いは、おそらく人事評価が給与に及ぼすインパクトの大きさと、その人事評価が適切であるということだろう。

2.今の会社はとにかく保守的

とにかく昔のやり方に倣って進めることが正とされる。口では新しいことにチャレンジして変革を進めていかなければならないと言うが、いざ新しい事を提案されると「前例がないからダメ」「そういう事は規則上できない」などと言われる。まるで裁判所が過去の判例から判決を決めているかのよう。

また、海外事業に打って出る必要があるとかこれからはグローバルだなどと声高に叫んではいるが、皆一様に「英語なんて分からない、分かるやつにやらせればいい」という事が顔にでていて、結局一部の特定のメンバー・グループだけが積極的に海外の仕事をやっているという状態だ。

 

3.今の会社では新しい技術についている技術者が非常に限られている

これも非常に問題だと考えている。平均年齢が高く、かつ、「プログラムや現場作業は若手にやらせろ、年功者は管理やマネジメントに精を出すべし」という強い前提がある。

それに加えて若手も「プログラマや現場仕事から鍛えて行って、いずれはマネジメントに関わって仕事は部課・外注・派遣・オフショアでやらせる」と思っているのではないか、と思われる節もあり、積極的に技術を吸収してやろうというモチベーションがあまり感じられない。あくまでも現場作業やプログラミングは過程と考えているようだ。

こういった組織での一番の欠点は技術の空洞化だと思う。仕事を人にやらせることをほとんどの社員が繰り返してしまうといつか仕事が出来なくなる。今まさにわが社はそういう構図だ。

若手はプログラミング、年食ったらマネジメントという意見自体に反対しているわけでは無く、むしろ一部同意するくらいであるが、しかしそのせいで新しい技術に対応できる人材が居ないというのは問題であり、対応が必要だと私は思っている。しかしそれを主張してもイマイチ反応が薄い。

 

4.本社のやり方とそれに似てきたわが社の方針が気にくわない

わが社は某メーカーの子会社である。前項で技術流出の話をした。本社のほうの技術流出は非常に深刻である。わが社は1次受けで、かつこれまであまり仕事を外注することは無かった。なので、技術の流出はわが社でせき止められていたという自負が私にはある。

しかしながらこの状況が変わったのは数年前。非常に評判の悪い社長(もちろん生え抜きではなく送り込まれた人間だ)が就任してからはとにかく経常利益第一主義で押し進め、仕事を積極的に外注させるよう活動した。今はまだ技術空洞化を感じることは無いが、いずれ本社と同じことになるだろう。

本社では役職者が異常に多い。30歳かそこらで係長クラスの役職が付き、相応の給与を貰う。仕事は左から右へと流して外注(子会社等へ)し、必ず見積もりが「高いから安くしろ」と言うのが暗黙の了解になっている。その割合は数%と半期~1年ごとに決定されているのだ。こんなバカバカしい話があるだろうか?さらに輪をかけて腹立たしいのが、その割合をわが社は知っていながら、それに甘んじて従うのである。わが社のミッションは「本社の業務を支える」ことだからである。そうして我々が何とか頭を使って補てんした数%の損失は本社社員の給料となるのである。なぜこのような状況で誰も怒らないのだろう。

本社の社員も若くして役職が付き、相応の給料をもらうという点で良い待遇に思えるかもしれないが私はそう思わない。経営の視点に立ってみれば、技術空洞化によって右から左に仕事を流す従業員に高い給料を支払っているという事である。しかも、その従業員は市場がシュリンクしたからと言って安易に切り捨てることは法律で禁じられている。つまり従業員満足度の向上と引き換えに大きなリスク資産を抱えているに等しい。

もし会社が傾き、リストラが始まってしまったらそういう社員は行く当てがない。シャープでも希望退職者の数十パーセントは再就職先が見つからないという。

シャープ、集まらぬ希望退職者 つぶし効かない45歳以上ネックか

大企業になればなるほど社員は会社の歯車として働くことになる。会社と言う大きなシステムが常識となる。先ほど言ったような技術の空洞化はどこの会社でも程度の差こそあれ傾向は同じだろう。そういう人たちは「つぶしが効かない」という評価になる。結局、あるシステムに最適化された歯車は他のシステムに組み込むことは難しいのだ。

結局会社が傾いたら退職勧奨のプレッシャーに耐えて続けていくしかない。私自身で言えば、そのような際にも退職勧奨対象者のリストに入らないという自信があるが、しかしそういう環境で良いパフォーマンスを発揮できるわけがない。

あまり詳しく話すとバレてしまうが、わが社の経営も同業種で比較すると良いものではない。それに加えて再三述べてきた技術の空洞化がある。不動産資産を徐々に手放しているという事実もある。この会社が将来傾く可能性も十分に高いと考えている。

5.Too Strict

2.と類似だ。
何でいきなりToo Strictなどと英語を使いだしたのか。こないだ、某オーストラリア人がこんなことを言っていた。

自分はAppleに勤めていた。が、Appleは厳格すぎる(too strict)会社だった。外から見ていればそういう風には感じないだろう。でも実際そうなんだ。ドキュメントの類はどれも辞書ほどの厚さがある。私はもっと自由な環境で働きたかった。自由であることは良い事だ。自由であれば従業員は最大のパフォーマンスを発揮する。

私も「自由であることが最大のパフォーマンスを発揮する」という点に強く同意する。何ら生産性の無い、会社の「きまり」を守るためという、手段が目的になっているような無駄な作業を減らせば生産性は向上する。従業員も働きやすくなる。

ただ、ここで「無駄」と私は断言したが、厳密に言えば大企業の場合、会社規則を守る事は保険の為であることが多い。たとえば私がオフショアで開発を依頼するときは手作業で作ったfoo baaしか書いていないようなソースコードを渡す時であっても、輸出管理のチェックを受け、課長、部門内輸出管理責任者、部長、全社輸出管理責任者の承認を貰った上で発注先に渡している。輸出管理とはつまり、核兵器開発につながるような製品を外国に持ち出すときに日本国法、米国法に反していないかどうかチェックを受けるという作業だ。

私の仕事はエンプラ系Webシステム開発であるから、もちろん、核兵器に転用される恐れなど皆無である。ましてや、foo baaしか書いていないようなコードなどなおの事である。核兵器転用の該非判定など必要のない事は明らかである。それでも会社は「法律を順守していますよ」という証拠集めのためにこのような作業を強いる。

万が一、何かあったときの保険にはなるし、やる、やらない、どちらかと言えばやった方がコンプライアンスを大切に考えているという体にはなるだろう。しかしそういう作業が積み重なった結果どうなるかは皆あまり深くは考えていないように思える。

6.プロクシのクソ野郎のせい

一転して話が変わるが、私はプログラマ(寄りのSE)である。しかしわが社はメーカーの本流から分社した会社出るがために、業種で言えば製造業である。IT系企業ではない(自称してはいるが)。がために、どこか会社全体でみると「ソフトなんておもちゃ、付帯物だ」のような偏見がいまだ根強く残っているように感じられたり、ソフトウェア開発に対して無知である人が多かったりするように思う。

その一つがプロクシに表れている。プロクシとは本来インターネット接続の中継点として構成され、キャッシュを保持して高速なアクセスを実現したり、Webコンテンツへ何らかの変換をかけたり、有害なサイトへの接続を遮断したりするという目的の元使われている。

が、現代ではもっぱら企業が管理のために導入するという場面で使われることが多い。業務とは関係ないと思われるサイトへの接続を禁止したり、従業員のインターネット閲覧履歴を抜き取ったり、SNS炎上を防ぐために特定のキーワードを含む通信を遮断したりする。

業務でネット回線を使用するのだから、上記の措置は合理性がある(ウザいとは思うが)。しかし私が許せないのは、プロクシがMan-in-the-middleを利用してSSL通信の内容まで監視してしまう事だ。しかも、プロクシが付与した証明書はいわゆる「オレオレ認証局」で発行した証明書を添付する(しかもSHA-1)。このため、ブラウザやその他HTTPSクライアントは軒並みエラーを返す。

ソフトウェア開発では、大体がライブラリの依存性を分析して足りないライブラリをインターネットから自動取得するという働きをするソフトウェアに頼ることが多いが、これを正しく動作させるために色々トリッキーな作業をしなければならず、大変なストレスだし、無駄な時間だと思う。

オレオレ認証局をブラウザやOSに信頼できる認証局として登録させてやれば一応エラーは起きないが、その方法が従業員に説明されないのもおかしいし、そもそも、このような措置を講ずるというアナウンスすらない。

それに、この方法では取得したライブラリが正しいものであるかどうかの判断が出来ない。もしオレオレ認証局経由でよろしくないコードを含んだバイナリを送り込まれたらどう責任を取るつもりなのだろうか?

他にも、たとえば会社で「確定拠出年金の運用指図をX月Y日までやれ」と指示されることがある。これもオンラインでの手続きとなり、当然SSL通信にて行われるが、案の定MITMで妙な証明書が送られてくるため、本来の証明書が正しいものかどうか分からない。通信相手が良くわからないまま重要な情報をやり取りしなければならない。問題であると思う。

7.技術を追求しながら出世していくキャリアパスが無い

これはどこの会社でもある程度共通してると思われるが、なんとかならんか。

先にも書いたが、うちの会社では「若手はプログラミングをやって経験を積んだらマネジメントや技術営業」と思っている人が多く、実際、キャリアパスもそれを前提としている。管理職層に現役でバリバリコーディングしている人は皆無である。

私の意見は、経験を積んだらマネジメント or 技術営業、というその考え自体は否定しないが、同様に経験を積んで現役でバリバリコードを書いている偉い人も一定数居ないとアカンと思うのである。

エドワード・ヨードンの「デスマーチ」で書かれているが、大体のデスマーチプロジェクトはプロジェクトを始める前にデスマーチになりそうだな、というのが分かる。分かるのになぜその仕事を請け負い、開発を始めてしまうのかと言うと、政治が効いてきてしまうからだ。

この「政治」には数多の意味が包含されていると思うが、私の経験上で具体的な例を挙げるとすると、コードを長年書いておらず(もしくは書いた経験がそもそもない)、最新の技術をあまり理解していない層がどんぶり勘定で仕事を取ってきてしまうとか、本社から送り込まれた経営陣が「わが社のミッションは本社のなんたら事業を支えることだからこの仕事をやれ」と無茶振りしてきたりとか、そういうあたりである。

後者が発生するかどうかは運に近かいし、そもそも転職しないと何ともならないかもしれないが、全社は管理者層と同等の発言権がある現役のプログラマが居れば防げる可能性が高い。もっと突っ込んで言えば、相応の役職と発言権を持ったプログラマが居なければプロジェクトメンバは守れないと思う。

8.そもそも受託開発が嫌、自社サービスを作りたい

受託開発はしんどい。エンプラ系システムの開発であればお客さんもそれぞれの企業のシステム部門が担当であることが多いし、であれば、まるきりソフトウェア開発に関して素人と言うわけでもないだろうから作り易いのでは…と、思っていた時期が僕にもありました。

実際はソフト開発をある程度分かっていて「こういう機能が実現できたらいいけど、ブラウザ上でやるのはしんどいよね~、別の方法を考えようか」とか、「帳票つくるのって意外に時間かかるんだよねー、期間はどのくらいになるのかな?」なんて優しく聞いてくれる神のようなお客さんなど私は出会ったことがない。大体が、「ブラウザ上のこのボタンを押したらPCのローカルファイルをちゃちゃっと読み取ってサーバにアップロードしてよ」とか、「このA4印刷帳票10ページ分を1週間で仕上げてね」などと無茶苦茶言ってくる人が多い。

そいで、それがいかに難しいか説明してわかってくれるならまだいいが、「何とかしろ」とか「何とか安く済ませろ」とか「1週間後の期限はずらせないから何とかしろ」とかごり押ししてくるお客さんも多くてつらい。

というか、そもそも知識が無い人がWebシステムの仕様を作るので、製作者サイドからすると「もっといい方法あるのになあ…」とか色々思うところが多いのだけど、そういう思いは大体政治の力でかき消されるか、提案したところでお客さんの妙なこだわりによって跳ね返されるのかのどちらかである。

酷い人だと5枚くらいのパワーポイントのスライドでシステムを作れとか、「既存システムの機能変更だから」という理由でそもそも仕様を一切出さず、エスパーで全仕様を読み取れとか無茶苦茶を言ってくる人も居る。そういう客からは仕事を取らなければ良いのだけど、その思いも政治力の前には無力であって、私の知らない所で勝手に仕事を受注され、勝手に担当が割り振られていく。

もっと言うと、この「担当」ってのも良くないよ。担当に直に対応する英語って無いからね。担当という言葉はいかにも日本人向きで、使う人にとって適宜いい感じに定義がブレンドされ、責任の所在と押しつけ具合が曖昧に包含されたハイコンテキストな言葉だよ。例えば外資系の求人情報とかを見れば職務が一目瞭然であって、何ちゃらエリアのプロダクトマネージャだよとか、何ちゃらシステムのプログラマだよとか、何ちゃらという製品の顧客への導入支援だよとかしっかり書いてる。それをば、なんですか?「君は何ちゃらプロジェクト担当だよ」と何をするか良くわからないままメンバーを集め、その中でとりあえず進めて、リーダー的な人がそれぞれのモジュールをまとめ上げて行けばいいじゃん、オッケーオッケー的なやり方は。大嫌いだね。

話しをお客さんに戻すと、まあコミュニケーション可能であるお客さんならまだいいのだけど、日本語になってないような仕様書(という名の、思いついたキーワードを前衛的な詩としてしたためたとしか思えないエクセルファイル)を一方的に送りつけて、「この、『ユーザー ワンタッチ 登録 ボタンからアクションする』とは具体的にどのような機能なのですか?」などとその詩歌の解釈をインタビューする作業から始まることも多い。

私はこうした対応にほとほと疲れた。

Appleがどうしてイノベーティブな製品を次々発表できたのかというと、様々な見解があるが一説にはジョブズが市場調査をあまり重視していなかったという見方がある。顧客の声にフォーカスして顧客が望むものを作っていくよりも、まったく別の角度から新たな価値を創造しないとイノベーティブな製品は生まれないという意見だ。それは一理あると私も思う。

車で言えばマツダとトヨタの関係がそうだろう。マツダは顧客の声を聴くことを止めた。自分たちが良いと思う製品を生み出し、その結果、従来の顧客を手放すことになっても構わないということを決定した。その戦略が評価され、業績は上がっている。

エンプラ系システムの受託開発というのはそういった製品開発とは対極に位置する作業であり、SEは顧客の無茶振りに耐えながらプロジェクトがデスマーチに陥らないよう綱渡りをするように微妙なさじ加減で切り盛りしていくことを求められる。その結果できあがったシステムが「やっぱりこれ使いにくいね」などとお蔵入りになるのは日常茶飯事で、もうホントゴミを量産したあとに穴を掘り、ゴミを埋めるみたいな作業は嫌だ。

一方で私はブログを書いたりWebサイトを運営したりしているが、そういう行為を経て世の中の反応(コメント、アクセス数、広告収入など)を見てフィードバックするという作業が非常に楽しいという事に気付いた。自分が良いと思う物を作り、世に問うのだ。そこには面倒な顧客も政治も無い。作ったものが良いかどうか判断するのは市場である。世である。これこそが本来のものづくりではないかと思った。

9.スキルアップと焦り

私が最も得意とする作業はプログラミングであると思う。これ以外で金を稼ぐというのはあまり考えられない。であるのに、スキルはまだまだ不足していると感じている。新しい技術を積極的に学習したいと思う。

しかしながら業務の拘束時間が長く、家に帰れば子育てだの家族サービスだのに忙殺されて自分の時間というのは週に3~4時間しか取れないと思う。と、こう書くと「それは言い訳だろう。出来る人は寝る時間を削って勉強してる」と言ってくる人が知り合いにもたくさんいるのだが、その発想が私に言わせれば貧乏くさいと思う。

私は子育てを経験し、自分の時間が持てないことに苦悩して悟ったのだが、理想を追求して突っ走っていくのが人生をよりよくして人間としても成長できる最もシンプルな戦略であると思う。

具体的には、子育てと仕事とスキルアップという3つの課題があれば、それらすべてにおいて高い成果を上げることが出来るよう追求することで最も良い結果が得られると私は思う。

であるから、「寝る時間を削って勉強しろ」などというのは私に言わせれば現状維持したうえでプラスαを求める、自動販売機でおつりボックスに小銭が残っていないか探すようなみみっちい作業であって、本来やるべきなのは「仕事で顧客対応や意味不明な規則を守るために忙殺されている時間を新しい技術を習得することに転換させる」という大局的な発想であると考える。

「仕事で顧客対応や意味不明な規則を守るために忙殺されている時間を新しい技術を習得することに転換させる」とはつまり職場を変え、互いにエンジニア同士が成長していけるような環境に身を奥と言う意味である。具体的には高いスキルを持つエンジニアが集まっていて、コードレビューやペアプロや勉強会などを通じて新しい見解をどんどん吸収できるような環境が理想だと思った。

10.子育てを見越したライフスタイル

子育てについてちょっと触れたが、これも私の課題である。

私は今後日本において労働力が減っていくことに対し最も効果的なのは専業主婦を減らす(働きたいと思う人に働けるための環境を整える)ことだと思う。教育・保育に金をかけて母親が子供を預けて安心して働けるような社会を目指すべきである。それは政府が「女性の活躍」などというあいまいなキーワードのもと推進されているように思えるが、実際には保育園は増えないし、保育士の給料は増えないし、待機児童は減らない。潜在的待機児童は数すら把握できない。企業も企業で結局いつ長期休暇に入るか分からない社員を抱えるのは嫌なのでマタハラみたいなものは減らない。制度上男性社員も育休が取れるが取ると嫌な顔される。など。

以上のような状況は残念ながら半ば当たり前のように認識されているために「しょうがない」と思ってしまう人も多いだろう。

しかし私は先に述べたようにまず理想ありきだと思っている。しょうがないという言葉は嫌いである。男が育休を取ったり、男が短時間勤務制度を利用して幼稚園の送り迎えが出来るようになっていたりしてもいいはずだ。在宅勤務が許可されていれば融通はずっと利くようになる。これからの育児を見越して、そういう事が出来る企業に転職したいというのは立派な動機である。

そして、そう考える人が増えないと企業の考えや常識というのは変わっていかないと思う。育児に励む親はもっとわがままになって良い。子供は国の未来を担う宝なのだから。

私は子育てしやすい制度が整った会社に入りたいと思うし、逆に子育てがひと段落したら、子育てが忙しい世代の分の仕事まで背負って働き、間接的に子育てを手伝ってあげたいとも思う。そういう価値観を共有できる社員で構成されている職場で働きたいと思う。