子どもと特異点

私が中学生の時に初めてHTMLというものに触れた。

こいつは素晴らしいと思った。Webページというのはいわばテレビのチャンネルを自分で作れてしまうようなもので、無名の人物でも世界に向けて情報が発信できる。素晴らしいシステムだと思った。

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初めてデジカメを買った時もこいつは素晴らしいデバイスだと思った。何ら劣化なく永遠に保持できるデータとして、現実世界のある瞬間を切り取ることができる。初めて買ったデジカメは30万画素で背面液晶もついていないおもちゃみたいな代物だったが、それでも私の宝物だったといえる。

私は、我々は初めて劣化しない情報を手にした最初の世代だと思っている。デジタルデータは本質的に劣化に強い。正しく管理すれば何百年後でも正しく情報から切り取った世界を復元できるだろう。

それに気づいた私は、何か私も爪あとのようなものを残したいと思った。西暦2000年前後の時代に私という人間が生きていて、どういうことをしていたかを記録したいと思っていた。だから中学生のときにHTMLを作ってから、ずっとこうやって文章を書いている。絵を書いている。プログラムを書いている。

そういうことを個々人や団体が繰り返していった結果世界がどうなったかというと、御存知の通り世界は情報のゴミに埋もれてしまった。大容量のストレージに世界規模で詰め込んでいった情報はその殆どがそのままではゴミといえるだろう。であるからこそ、データマイニングがビッグデータと名前を変えて流行り始めたのは当然であるし、Googleがやっていることは絶対的に正しい行為だと思う。

人は何故そうやって自分の痕跡を残したがるのだろう?人がいかに自分の足跡を残したいのかは観光地の落書きを見ればよく分かる。私が思うに、これは生き物としての本能に近いと思う。自分の遺伝子を残したいという本能と、何らかの創作活動を通じて人としての生きた証を残したいという気持ちは非常に似通っているのではないか。

そんで、重要な事は遺伝子は人間の構造や行動を生成するためのフラクタルパターンのようなものを定義しているのに対して創作活動はその結果生まれた表現形であるということであると思う。更に重要なこととして、生物は経験情報を子孫に残さないという事実がある。

そういうあたりを何となく考えていると、遺伝子を残すのと創作活動をするというのは表裏一体であって、そこまで含めてやっぱりさっき書いたように創作活動をするのは人間の本能なのでは、と思う。

人間は誰でも多分死ぬが、いずれ死ぬから別にどうなったって良いや、という人はめったにいない。こういう点も考えてみると不思議だ。どういうふうに生きようと数十年後には死んで意識が消失して何も考えなくなるのだから、別に世間なんてどうでもいいやという人はもっと居てもいい気がするが、そういう人はめったに居ない。この辺りも遺伝子とその創作活動が織りなす絶妙なハーモニーと言うか、毎日がエブリデイというか、人間というのはうまく出来てるなあと思う。

更に思うのはこういう大きな流れの中において、社会的経済的精神的物理的にそのシステムに所属しながらも流れには従わず、にも関わらずそれを不思議だとも非常識だとも思わない存在が子供だと思う。子供は一体何なんだろう。生物と本能の中に不気味に佇む特異点みたいな感じがする。_DSC0978