第二子生まれます

私事ですが、というか個人のブログは基本的に私事なんですが、11月に第二子が生まれます。

aaa

実は去年、一度双子を妊娠したのですが流れてしまいました。双子が生まれるとなると1か月前から入院が普通、ということらしく、じゃあその1か月の間長女はどうするんだ、仕事行けないよ、職場に子供連れてったら怒られるよな。そりゃそうだよな。じゃあ保育園はどうだ?うーん、延長保育を活用しても定時間働くことすらギリギリだなあ。世の中の親はどうしてんだろ。というか、そもそも双子出産はリスク分娩だから個人の産院とかはみんな嫌がるんだね。じゃあ総合病院?っつうか費用はどうなんの?双子だから倍ってことは無いよね?というか出産育児一時金は倍もらえるの?それとも同じ?

などというもろもろの事が降りかかり、何とか一つずつ片付けました。一番は職場の理解があったので助かりました。半分在宅勤務OK(本来は多分ダメ)のお許しが出て、ようやく体制が整ったと思った矢先、「心臓停まってるので稽留流産ですね。手術するんで準備してください」と医者に言われたらしく、嫁さんはショック極まりない。私ももちろんショックはショックだけど、嫁さんよりはショックじゃなかったと思う。そういう時に男がしっかりしなきゃどうにもならんと言うのもあるし。

医学的な話をすれば、妊娠初期の流産というのは純粋に確率的な事象に近いのでしょうがない。初期発生がうまく行かないような遺伝子の組み合わせだったので、それ以上育たなかったという事である。ストレスとか環境因子とかはあまり関係ないとされる。

そしてその確率はおよそ10%という話も聞いたことがある。なので、嫁さんの友達はとある産院で「10%なので二回連続して流れてしまう可能性は1%です。次はきっと大丈夫ですよ」と医者から言われたことがあるそうで、ショックを受ける妊婦にはそういう一言が大事なのだな、と思う。

今回嫁さんが通っていたところはそういう思いやりの言葉が無かったとのことで、つらい思い出もあるし、もう利用したくないとの事だった。なので今回は別の産院に通っている。

個人的につらかったのは、手術当日に嫁さんを送迎したり子供をみたりで有給を取ったのだけど、その次の日に仕事で客先に行って「私用で昨日は休みを取った」という事を言ったら、その客が

「その休みってのはいつも取るわけ?だとすれば工程に響くからちょっと心配だよね」

などとほざいたこと。こっちだって休みたくて休んだわけじゃないし、そう何度もあったら困るんだっつうのってPCをブン投げて帰りたい気分だった。もちろん、つらい気持ちだったという事もあるが、請負でやってる仕事なのに違う会社の社員が休みをいつ取るかまで干渉してくんなよ、ボケ!とも思った。大体、労働基準法では所属元会社ですら有給を取るのに理由による可否の判断があってはならぬのである(林野庁白石営林署事件)。今回のケースは厳密にコンプライアンス違反と言えるわけではなかったが、当然言い方に気を使うべき場面ではあるはずだと思う(法的に)。

悲しみ+苛立ちで最悪な気分だった。もちろん、その人は悪気があって言ったのではないことは理解できるが、私はそれを割り切れるほど常識的な人間ではないので、もう感情だけでその人のことは大嫌いであるし、以降の仕事も私は受けたくないし、拒否する構えでいる。

で、まあそういう事が矢のように過ぎ去った後、私は何とも言えない気持ちになった。友達や家族が死んだときもそうだったが、いまいち死んだという気がしない。大体、わたしは彼らが死ぬ瞬間を目にしたわけではなかったし、生前の姿と遺体が連続している事象であるという感覚に乏しい。遺体を見たことがある人なら分かると思うが、生前のその人の姿とは似ても似つかない。顔色なのか、ピクリとも動かないからなのか分からないけど、とにかく全くの別物だという感覚がある。文字通りタンパク質の塊でひどく物質的だ。私は幽霊の存在など信じないし哲学は数ある学問の中でも最も嫌いだが、この時ばかりは物質や化学で語れない何かがあるのではないかと疑ってしまう。

ましてや男はエコー写真で写る小さな胎のうとされる黒い空間だけが妊娠の事実のすべてであるため、本当に感覚が希薄である。

先に書いたとおり、その双子は矢だった。ある日突然自分に向けて放たれて、その周囲を一通りかき回した後で、私の頭をかすめて後方へ飛んでいき、何事も無かったかのように見えなくなっただけだった。友達が死んだときもそれは同じだった。その矢が過ぎ去るのが数か月だったか、十数年だったかの違いで根源的には違いはないと思う。

残された人はその意味を考える。それは自分にとっては大きなウェイトを占めていた事件であったが、それが終わったところで世間は何も関知しない。いつものように朝のニュースが始まり、飯を食って、いつものように駅のホームに立ち、いつものような顔ぶれの電車に乗って通勤していく。こんなにも自分にとって大きな事件だったのに、そのギャップに驚きつつ、不思議と思いつつ、しかし自らも人混みに流されて気づけば元いたレールの上に乗っている。そんな感じだ。

そういう事があったため、今回の妊娠は長らく誰にも言わなかった。親にも親友にも言わなかった。が、今回安定期に至ったため友達や職場の人に伝えることとなった。

友達からは「知らなかった!なんでもっと早く言わなかったんだ」とよく言われたが、まあ妊娠とは必ずしも喜びでないということを知っている人でなければ分からない感覚かもしれない。いや、そんな高尚なものではなく、単に慎重になっているだけだな。

wpid-fb_img_1429426207737.jpg

上記はアリの巣をほじくる長女。「アリがー!居るんですー!お出で下さーい!!」と言っていた。ちょくちょく妙な敬語を使うが何処で覚えてくるんだろうか。

11月は出産予定でもあるが、妹と会社の同期の結婚式もあり、何かと忙しくなりそうだ。5月には高校で仲が良かった友達の一人が結婚した。私の周りはあらかた既婚者となった。10年かそこら前は当てもなく集まって遊んでいた人らがどんどん結婚して家庭をもつ。そのうち子供が生まれたり生まれなかったり、家を買ったり買わなかったり、車を買ったり買わなかったり、幼稚園に入ったり保育園に入ったりして、あくせくアリのように歩き回る。そうやってみんな歳をとる。

そうやって育った新たな世代がまた同じような人生を歩み、何だかんだあっていつか結婚して、いつか子供が生まれたり生まれなかったり。

そういう事を考えると、普段車がどうとか書いてる私も、ハイブリッドだのガソリンだのディーゼルだのどうでも良くなってくる。

誰も居ない山中に椅子を持ち込んで、ビールを飲んで昼寝をして帰ってきたい。