英語だけ出来ても意味が無い

Twitterで上記のようなことを書いたのだけど、もっと色々書きたくなったので書く。

英語だけできても意味が無い

今回の記事で言えば上記のとおりとてもシンプルなことです。私はそう思うのですが、世間ではそう思っていないような人も多々いるみたいです。ここではその実例などを用いてその根拠を示していこうと思います。

別に私が絶対的に正しいとは思っていませんが、一つの例として読んでいただければ。

英語の通訳

私は今の会社に入社後、すぐに米国の発電プラントの建設プロジェクトにアサインされました。私の仕事は計算機システムの設計・開発でしたので、英語で仕様書を書き、何度もテレビ会議で現地米国人技術者と打ち合わせを重ねました。

英語が得意だったわけではないですが、大学~大学院時代に英語に触れる機会は多かったのもあり、まあ何とかなりました。

で、米国から技術者がやってきて打合わせをするという事になり、顔を合わせて会議をしました。その際、現場にいた人たちでネイティブレベルで英語を話せる人は居なかったので、通訳を雇っておこうという話になりました。

通訳の女性はさすが通訳なだけあり、我々の話す英語とは比較にならないレベルでした。が、通訳を雇ったことが役に立ったかどうかと言われれば、正直役に立ちませんでした。通訳の女性は技術用語がさっぱり分からなかったからです。

対して、我々は技術者で、たいていの技術用語は英語ですからそれほど難なく聞き取ることもできました。しかし、通訳の女性は分からない単語も多いわけです。考えてみれば当たり前の事なのですが、経験するまで気づきませんでした。

もし次の機会に通訳を頼むかと言われれば、お金が(自分の部署やプロジェクトでない)どこかから出るのであれば頼んでも良いですが、基本的には頼まないと思います。

学生時代の教授は某企業で新型発電炉の研究をしていた方でしたが、同じように米国の学会に行ったときに会社が金を出してくれたので通訳を雇ったが「技術用語が分からないから何も役に立たなかった」と言っていたのを思い出しました。

 

コミュニケーションとは流暢に話すことではなく伝えること

私が仕事でインドに言っていた時、インド人が「日本人は恥ずかしがるからダメだ」と言っていたのを覚えています。コミュニケーションとは、文法を正しく理解することでもなく、正しい発音を身に着けることでもない。伝わればいいんだ。身振り手振りでも、絵を描いてでも字を書いてでも、伝わればそれでコミュニケーションは成功なんだと。

実際、私も英語で仕事をしなければならない場面では、身振り手振りで説明したり、辞書を引いたりネットで自分が書いた英語と同じ言い回しがヒットするかなど検索したりしてなんとかやってきました。少なくとも、本気で英語を勉強しなければならないという危機感を感じたりとかいう事はありませんでした。つまり、それなりに英語を話せれば何とかなるんです。

私の会社は従業員の平均年齢が高く、40代~50代の社員が多く在席しています。彼らは今まで国内の企業相手に仕事をしていましたが、昨今、我々の業界では国内にあまり仕事がなくなってきたので海外に進出を始めています。今まで英語を使ってこなかった40代~50代の社員がいきなり海外に行くのです。それで、仕事をちゃんとこなしています。

そういう経験や事実から、言語と言うのは「覚えなければならないときに自然に覚えるもの」ナノではないかと私は漠然と考えています。

幼児教育における英語

英語は小さいうちから学習させた方が定着率は高いと言います。おそらく、その根拠はちゃんとした論文か何かで根拠があるのでしょう。でなければ小学生から英語教育を導入したりはしませんから。

しかしながら、幼児教育において英語以外にも重要な事はたくさんあります。私の持論ですが、子供には様々な経験をさせるべきと考えています。これも私の経験談で恐縮ですが、私は3~4歳くらいにはドライバーで家じゅうの家電製品を分解したり、ゴミ捨て場に積まれたテレビを壊して中からヒューズやコンデンサを抜き取って集めたりしていました。小学生に入ったころは親にねだって電子工作キットを買ってもらい、はんだ付けをした基盤を組み立てて作ったロボット(キット)を動かして遊んでいました。

私はそのころから自分の将来の職業は電気・電子・情報あたりのどれかだと信じて疑わなかったですし、幼少期にたとえば家電製品を分解するのを頑なに阻止されたり、電子工作を諦めたりしていたら今ほどのスキルは無かったと思います。きっと、同じような経験をお持ちの方は多いでしょう。

子供はそうやって何か熱中できる題材を見つけさせるという事が将来のために大いに役立つと思います。だからこそ、色々なことを経験させるのを最重要視したいです。もちろん、その中に英語教育があっても良いと思います。しかしながら、子供が英語に興味を持たなければ、それで終わり。義務教育で英語の授業からスタートしましょう。で良いと思います。

一方で、ビデオカメラを持たせたら自分で動画を撮ってYoutubeに投稿し初め、英語圏からもコメントが来るようになった。もしくは、オンラインゲームをしていたら英語圏のユーザーが話しかけてきた。それに返事をしたいから英語を覚えたい。などといったきっかけがあるならば、それは全力で応援してあげたいと思います。自ら目的意識を持ち、新しいことを始めたいと言ってきたのですから。そうなったときは、英語教室に通わせることも検討すると思います。

目的の無い留学

これまで話したように、目的というのも一つのキーワードになるかもしれません。それで思い出したのは企業面接でのエントリーシートですね。

ネットでエントリーシートの評価などをしてもらうサイトとかを眺めてみると、海外経験をアピールするようなことを書いている人も見かけます。しかしながら、はっきりとした目的意識を感じるような内容は少ないです。

たとえば、「XX国の文化を学習したいという目的でXX国にNか月留学しました」などというパターン。これでは説明になっていません。どういう経緯で文化を学習したいと思ったのか、何が出来れば目的が達成したと言えるのか。そういう事が書かれていないと意味が分かりません。文章量の制限があって書くのが難しかったとしても、最低限、そういう背景を口で簡単に説明できるとか、もしくは文面から想像がつくようになっていないとだめでしょう。

そのあとで「現地でXXX活動を行ううちにお互いの文化を理解することができ、着越した後も交流は続いています」のようなことを書かれてしまうと、もうただ単にプラプラ行きたかっただけなんだろうな。もしくは、大学のカリキュラムとして留学が組み込まれてるんんだろうな。程度にしか私は思わないです。

たとえば私の業種だったら、Nか月間海外に行って文化を学びました、現地でこういうNGO活動に参加しました。などとアピールされるよりだったら、「米国のハッカソンに参加してきました。結果は全然だめでしたが、またスキルアップしてチャレンジしたい」というアピールの方がずっと印象に残るし、やる気があるな、と感じます。

もっと言えば、そういう風に企業担当者が知りたいこと聞きたいこと、グッとくることを予測してそれをアピールすることが出来る程度の文章力、想像力が無いのであれば英語よりも先にそれらを勉強したほうが良いでしょう。

塾講師や英会話スクールの行く末

しかしながら広告やテレビCMでは盛んに英語学習の重要さが語られることが多いように思います。企業のグローバル化はどんどん推進されている、英語がしゃべれないと大変なことになる。という気持ちになってきます。それを見て、「私も(うちの子にも)英語教育を受けなきゃ」というように考える人もいるでしょう。

しかしながら、広告はあくまでも広告です。日本人の語学力を底上げしよう、などという社会一般に対する意見を述べるのは大抵ACCの役目であって、一般企業が広告を打つ時は間違いなく自社の利益を追求することが目的です。

塾も供給過多になってきています。ですから、大人の家庭教師と称してゴルフなどを教えたり、英語の指導を始めたりなどということをやり始めています。英会話スクールも同様でしょう。先に述べたとおり、帰国子女やワーホリ帰りなどといった人材は山のようにいます。その中で語学以外にスキルが無い人は英会話スクールをまず考えるでしょう。

そして英会話スクールには英語がうまい日本人と英語をネイティブで話す外国人とが居ますからね。そうやって供給過多になった業界がなんとか少ない食い扶持を争っているという現状なのではないかと私は考えています。根拠は無いですが、火を見るよりも明らかといったところでしょう。

ちなみに、これはわが社の採用担当から聞いた話ですが、「TOEIC 990点などという人はざらにくる。もう英語が出来る人材はあぶれている。帰国子女なんて山のようにいる」ということでした。

わが社は大手の名前が付いているものの、上場しているわけでもなく、資本金で見ても中小企業のレベルです。ともかくこんな会社ですら「英語がネイティブで話せる人材」が多数やってくると言うのは少々驚きでもありました。まあ、個人的にはたとえ英語しかスキルが無くとも、うちよりはいい就職先があるのではと思ってしまうのですが…。

まとめ

以上が、「英語だけできてても意味が無い」と考える根拠や背景です。スキルが「英語だけ」で勤まる職業はそれほどないでしょう。たとえ英会話スクールであったとしても英語だけでどうにかなるものではなく、サービス業ですから接客スキルも必要になります。

そして重要なのは、どの職業においても英語をコミュニケーション可能なレベルにまで上達させることと、その職業で必要なスキルを身に着け、伸ばしていくこととを比較すれば圧倒的に後者の方が難しいことが殆どであるということです。