色弱について

私は赤緑色弱である。

およそ日本人の30%の人が色弱の因子をもっており、実際に発現している日本人は20%程度と聞いた。ソースは忘れた。しかし20%というのはかなりの数字で、おそらく最も多い障害ではないかと思う。

Xの性染色体に因子があるため、色弱の男性と正常な女性の子供は色弱は発現しない。ただし、その子供が女性であった場合には因子は確実に受け継がれているため、その子供が男性であった場合に1/2の確率で発現する。

ただ色弱であるからと言って困ることは殆どない。後から言われて「あーそういえば」と思いだす程度だ。だから、色弱の検査をするまで分からないケースが多い。昔は小学校で必ず色弱の検査をしていたが、今は差別の助長につながるとかで廃止されたそうだ。障害に分類されると思うが、私は全く障害だとは思っておらず、むしろ自分の方が正しいと思っている。

でも先に述べたとおり、たまに困ることはある。以下のページの例を見てみよう。

メガネのアマガン

「色の間違いをして先生に『ふざけてはだめ』と注意された」

ある。怒られたことは無いが、絵を描いていて「なんで肌色を緑色で描くんだ。ピッコロか」と指摘された。ただ、PCで絵を描くようになってから(Webデザインをするときも)はRGBの値で大体分かるので特に困っていない。

「地図の色で判断する問題が誤答だった」

ある。これ今考えても腹立つ。地理のテストだったのだが、もう全く分からん。ふざけるなと思った。

「黒板の赤のチョークが見にくい」

これもめっちゃくちゃある。すごく見にくい。あの配色をはじめに決めた奴は殺そうと小学生の時は思っていた。

・赤のボールペンを黒と思って使ってた

ある。個人的に赤のボールペン要らない。

・グレー、ピンク、水色の区別がつきにくい

ある。極端に薄い色はだめ。

・車のブレーキランプとスモールランプの違いがわからない
・道路上の赤いマークがわからない

これはあまり無い。色弱でも運転する人はみんな分かるんじゃないかな。色弱だというと、「信号見えないってことだろ?危ないから車乗るなよ」とかクソむかつくことを言われることがあり、言われた時は本気で腹立つ。ブチ切れそうになる。

信号の場合は位置、ブレーキランプの場合は位置や光量でも分かる。遠くから見たときは分からないこともあるが、そういう場合は減速して交差点に侵入しはっきりと位置を確認してから走行するのでむしろ色だけで判別するよりも安全に走行しているとすら言える。

そして、私が車に乗り始めてから10年以上経つが、あらゆる場面において信号の色を間違って信号無視をしてしまったことはただの一度もないし、そうなりかけたこともない。色弱か否かよりも、運転が慣れてるか慣れてないか、疲れているか否か、眠いか否かあたりの要素のほうがずっと重視すべき要素だと個人的には感じている。少なくとも私は自分が色弱であるかどうかより、体調のほうがよっぽど運転に影響する。

そもそも免許持ってる人は、免許センターで色覚のテストに合格した人なのである。それで一体何が悪いんだ。

色弱の世界を知らんくせに「色弱だから」「障害だから」という何ら論理的でない理由で色弱の人の利便性や車を運転する楽しみを奪おうとする。はっきり腹立つ。

例えば以下。

交 通 事 故 と 色 覚 異 常 の 因 果 関 係

・患者さん(色覚異常の方)の祖父が既に亡くなっている(調査数4500例中)  2237例
・うち死因が交通事故によるもの 152例
※色覚異常であったと思われる人の交通事故による死亡率 6.8%
・全男性死亡者中の交通事故による死亡率(1980年度調査結果) 2.3%

色覚異常であったと思われる人の交通事故による死亡率が、全男性死亡者中の交通事故による死亡率の約3倍になっている事にちょっと驚きます。

数多の交通事故原因がある中で、そして年間数十万件というオーダーで発生している事象について、たった152例のサンプルでは有意とは言えないでしょう。検定もしてない。それに「色覚異常と思われる」などというあいまいな基準で算出している。恣意的とすら言えます。

あとは、以下のような例。

色覚補正メガネをお使いの方に質問です。

色覚異常をお持ちの方ならば理解があると思われますが、そもそも日常生活において色覚異常は大した足枷になっていませんよね?それなのに正常な色覚を持っている故の無理解からかバイクへの偏見なのか、家族から大型自動二輪免許の取得を納得してもらえません。色が判別できないと危ないそうです、納得はできませんが。

そうそう、そうなんだよ。大した足かせじゃあねーんだよ。ガタガタいうなポンコツが、と言いたくなってくる。大体、色弱が原因で事故ったとはっきり言える例が一つでもあんのか、あんならソースだせ。って感じだ。

色覚正常者の異常な「自分達の色覚が正しい」という考え方に振り回されてたら人生損しますよ。

これも本当その通りで、色弱だと言うと「じゃあこれ何色?これ何色?え?灰色なの?うわー、ないわー、ピンクだよピンク!えーマジありえねー」みたいなやり取りが必ずあるのだけど、これもう本当腹立つから止めていただきたい。なので、あなたがもし色弱の人と出会ったらこういう事は聞かないであげてほしい。

はっきり言わせてもらうが、色弱の人にとってその色覚はその人の世界そのものなのである。つまり桜は白なのである。断じてピンクではないのである。子供のころから真っ白な桜をみて育ったのである。真っ白に咲き誇る桜を見て春の訪れを感じてきたのである。それはもう色弱の世界の中に形作られた文化と言ってよい。それをば、なんですか?桜の色はピンクだあ?ふざけんなと思う。なんで桜がピンクじゃ、下品なんじゃ、ボケ。とすら思う。

つまり色弱の人に対して「本当はこの色は何色だ」と言うのはその人の世界感を一方的に否定しているとさえいえると思う。そしてきっと思うだろう。「いやいや、色弱は障害なのだから、健常者の方が正しい」と。しかし、色弱の人は全く同じような苛立ちを持っているということを分かってほしい。

そもそもある色がどの様に見えているかなど確かめようがないのである。確かめようがないから、良いか悪いかという評価方法も確立していない。そもそも知覚に優劣や正誤を定義してやろうと言う発想が間違っていると思う。そして加えて言えば、色弱で困ることはほとんど無いのである。困ることもないし正誤も優劣もなのだから、放っておいて欲しいのである。

そして同じように色弱の人にも伝えたい。我々の見ている世界は真実そのものであり、間違っているとか劣っているとかそういう事は無いのである。桜の色は白で、ピンクなど言語道断なのである。色弱とそうでない人が同時に桜をみて、同時に桜を綺麗だと思う。それは普通でごく当たり前のことで、何ら問題が無い。そこで桜の色は白でなくてピンクだなどと下らないことを一々主張してきて台無しにするのは、同一の経験を基にした感情の共有という人間的な営みに対する宣戦布告と言ってよい。そういう反社会的な馬鹿は放っておいて、我々は今まで通りこれからも生きるべきなのである。