エンジェル投資家と起業と転職と

雑談です。

エンジェル投資家とか

起業するにあたって、銀行から融資を得て…とかいうのはきっとしんどい。やったことないけど、それはしんどいものだろうというのが容易に想像つく。たとえば、私が世の中の問題に対する素晴らしいソリューションを発想したとして、それをWebで実装したいとする。で、それで儲けるためのビジネスモデルも考えたとする。

そいで、それを実行に移すために銀行に行き、融資相談窓口で「ちょっとこういうビジネスをやりたいでね、融資してほしいなあ、なんつって」みたいなことを事業計画書で説明するわけでしょう。そしたら銀行マンは「うふーん。こういうこと言っているけど怪しいなあ。というかコイツ誰だよ。うさんくせーなあ」という疑いの目で見るでしょう。だって貸す側は融資した金をちゃんと利子つきで回収できんのかどうか、ということを最重要視するから。新卒採用のアホ人事担当のように「人柄、コミュニケーション能力」とかいうバカっぽい指標で評価したりしない。純粋にビジネスとして成り立つのかどうかを見抜く能力が銀行マンには必要なのだろう。

だから、金を借りる側はこのビジネスはちゃんと収益性があるんですよ、という事を説明しなければならない。つまりどんなに素晴らしい発想を得ても、技術力があっても、融資してもらうためにはまずプレゼンテーション能力が必要だということである。

さらに、もし融資してもらったとしても、その後も円満に付き合いをするためには会社として業績がこの程度あるんですよ、なかなかに順調ですよ、ということを継続的に説明していかないといけない。

というわけで技術も持っているしプレゼンテーション能力もすばらしい、かつ法律・税金の知識もあり、企業経営の知識も有するなんてスーパーマンはそういない。

しかし、そこそこ稼げる技術力がある人間だったらもう少し多い数居るだろう。

そこでエンジェル投資家の出番である。エンジェル投資家たちは銀行やベンチャーキャピタルとは別の観察眼を持ち、それなりのリスクはあるが十分に見合ったリターンが得られるというギリギリのラインを見極めて融資をする。

エンジェル投資家というのはすなわち、銀行は融資しないけれども実は稼げる技術力はある、という、銀行が取りこぼした/過小評価した人材を磨いて伸ばすというスキマ産業と言えるのではないだろうか。もしくは、単に金があるから「日本の未来のために収益性度外視で投資する」とかいう凡人には決して理解できない崇高な目的をお持ちなのか、であろう。

私の起業と転職

私もいずれは起業したいと思っている。しかし、数百万という単位で融資してもらい、それを何に使い、どのくらいの期間でどの程度の収益をあげるか、などという大規模なストラテジーは逆立ちしても立てれない。だいたい、会社の5Fの自販機よりも4Fの自販機の方が10円安いことを発見して喜ぶような私に10万倍のオーダーの管理が出来るわけないのだ。アリ塚とピラミッドを比較しているようなもん。

融資してくれるとすりゃそれはうれしいと思うが、せいぜいそれで食っていけるようになるまでの生活費くらいにしか私だったら使えないだろう。

では、そういう人間がなぜ起業したいのかとほざくのかと言えば、いや、これでも合理的な理由があるのである。

たとえば私は他人が嫌いである。自分一人でのそのそと文章やプログラムを書いたり、絵を描いたりしている方が性に合っている。一番嫌いな言葉はチームワーク、だ。私の人生の中でチームワークという言葉が正しく機能した例はほとんど無かった。いつも私に仕事が押し付けられ、私が気合でなんとかするというパターンだった。もちろん、その人生が小さい世界観であることは承知しているが、それでも私にとっては私の人生がすべてなのだ。

就職してからもその傾向に変わりはなく、「まあコイツだったらなんとかするだろう」とでも思っているのだろう、安易に仕事を押し付けられ、私は生活を成り立たせるためにチマチマとクソ面白くも無い仕事をこなしてきた。

が、それも最近は限界で、もう仕事辞めたい。全然面白くない。俺はもっと面白い仕事がしたいのだ。と思うようになってきた。人付き合いが嫌という他にも、今やっている仕事に何ら価値を見いだせない、無駄な作業としか思えないということもある。

ほいで、転職サイトとかを眺めるのだけど、イマイチどの仕事が自分に合っているのか、この仕事は面白いのか面白くないのか、というあたりが見ていてよく分からない。

大体採用情報を眺めると、業務とは関係ないであろうスケボーとかDJのミキサー類とかの画像がでかでかと貼ってあってその上に太めのゴシック体で会社の理念とか書いてあったり、あとはあからさまに可愛い女の子を選んでインタビューしているとか、良くわからん前衛的なデザインのソファ、良くわからんカフェテリア、良くわからんイベントと仲間たちの画などが並び、さっぱり何の業務をやっているのか分からない。

そういう会社に入っても良くわからない業務を良くわからない前衛的な言語、良くわからない前衛的なフレームワークで組まされ、良くわからない前衛的な人間関係、良くわからない前衛的な叱責、良くわからない前衛的で酔っ払いが満載する最終電車などに振り回され、生きてるのか死んでるのかも曖昧なまま「俺何やってんだろ」とかある日突然思い、そして退社して別の良くわからない会社に入る、の繰り返しだろう。

なぜ私はこうなのだろうか。やはりそれは前述のように人が嫌いだからだと思う。もっと正確に言うと嫌いというか興味がない。誰か偉い人が言っていたのだが、好きの反対は嫌いではなく無関心であるという。私の他人に対する感情は無関心という言葉が一番しっくりくる。そして、俺は興味を持たないのだから俺にも興味を持たないでほしいとも思う。

漫画「茄子」で主人公の高間が「お前は人嫌いだから農業をやっているんだろう」という旨を言われ、「いや、こうやってこじんまりとした畑を区切って、自分が食う分だけでやっていけたら、あとは放っておいてほしいなあ」なんてことを言っているが、まさに私もそんな感じだ。もっと畑を大きくして儲けたらいいという旨の言葉に関しては「ばかな、両手両足の届く範囲で良いよ」「自分のところの作付くらい自分で決めるよ」と言っている。これも非常に同意できる。

そう、私は両手両足の届く範囲、うちの家族が食っていけるだけのこじんまりとした商売で良いから静かにさせてほしいのである。一人気楽に仕事をしたい。そういう商売があってもいいはずである。そう思った。

で、あるから、何かの企業・団体の所属になるのではなくして、自分で起業し、法人化はメリットがあればするかもしれないけど基本的には一人でのんびりとやりたいなあ、と思うのである。こじんまりとした商店のように。

人生はもっと楽であっていい

最近切に思うのだが、人生はもっと楽であっていいと思う。「起業したい」と言うと「お前なんかに出来るわけない、世の中そんなに甘くない」と言われる。なんで甘くないと知っているのだろうか。起業したことがあるのだろうか。無いのに世の中甘くないとか良く言えるよねー、甘いかもしれないじゃん。と思う。

それはそもそもが「世の中は厳しい、しんどいもの」という発想に立って居るからであるとおもう。で、困ったことに日本の文化は耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、というあたりを美徳として扱っているから最近になってこれが問題として顕在化しているように思う。

サービス残業をしたり長時間労働をしているひとに「なぜそうするのか」と聞くと決まって「しょうがないからね」などという。しょうがなくねーよと思うのだが、その背景には耐えがたきを耐えの発想が染みついているからなのではないかと愚考する。

しかし良く考えてみると、楽しそうに日々を暮しているような人というのは身の回りにも案外多いのであり、全員が全員満員電車に揺られて深夜残業にあくせくしている人ではない。もちろん、そういうつらい生活をせず悠々に過ごしている人は少数であるが、少数であろうと、居るという事実が重要である。そういう生活が出来るのであれば私にだって出来るはずだ。同じ人間だもの。人間だもの。半分人間だもの。

というあたりの思考の帰結が私にとっての起業であった。

こういう会社にしたい

初めてConfig.sysを書いてAutoexec.batからcommand.comを叩いたときの気持ちをもう一度味わいたい。コンピュータは何でもできる魔法の箱だったはずだ。私はあの時の興奮をもう一度味わいたい。コンピュータは鈍重で過度に隠ぺいされたフレームワークでエンプラ系システムを延々組み続けるような作業に使う道具ではない。私はそういうシステムや作業に価値を見いだせない。また、コンピュータはしょうもないソフトやWebサービスをチンタラ使うようなコンソールでもない。

コンピュータさえあれば何でもできるはずだ。作曲もできる。絵も描ける。CGもできる。映像制作もできる。ゲームも作れる。人工知能も作れる。コンピュータやスマホはもっと楽しいデバイスであるべきだと思う。そして、その楽しさを追求し、凄い!と言わせるサービスを提供することができたら、それは得られた利益以上の価値があると思う。

その初めての試みに今チャレンジしている。なかなか時間が確保できないので遅々として作業が進まないが、遅くとも2月15日には公開する。このサイトがうまく行けば私は本気で会社を辞めようと思っている。とか言いつつ、結局40歳すぎまで勤めるような気がする。