テロについて

最近、イスラム過激派やイスラーム国関係のニュースを見ると本当に腹立たしい気持ちになる。

まず真っ先に、殺人とかクソだな、マジむかつく、みたいに脊髄反射に近い形で感情が出てくる。最近、殺人とか子供が絡んだニュースとか見ると特にそう思うようになってきた。

それはやっぱり年を食ったからだとおもう。高校生のときなんかはこんなニュースを見ても「はは、また人が死んでるわ」程度にしか考えなかっただろう。それは経験が圧倒的に足りないからだ。ある事象に対して人がどの様な感情を持つのかというのはその人のそれまでの経験に大きく左右されるし、また、他人の感情を想像することはできない。

だから、たとえば高校生と30代の子供をもつオッサンでは「子供を使って自爆テロを起こしている」というニュースに対する感じ方は異なるだろう。オッサンは高校生だったときがあるので高校生の気持ちをある程度想像することが出来るだろうが、完全には無理だろう。逆に高校生が30代オッサンの気持ちを想像しても30歳のオッサンになったことがないからできっこないだろう。

私は子供ができ、オッサンになっていかに人が生きていく中で色々なことがあるかというのを学んだ。親にとって子供がどれだけ大事であるかという事も学んだ。で、あるから、殺害された周囲の人々の悲しみもある程度は理解できるようになったと思う。それが、この腹立たしい気持ちの源泉となっているのだろう。

ちなみに、表現の自由とは何かを考えるような意見がネット上で散見されるが、私はぶっちゃけ興味がない。興味が無いと言うか、それ以上にテロ行為に腹が立つというか。

今日の読売新聞にも、フランス在住のイスラム教徒は「テロは良くないがシャルリ・エブド新聞の風刺画も良くない」とインタビューに答え、その隣にいた別の人と口論が始まったという様子が書かれていた。そういう意見や宗教観の対立はあるにせよ、殺人やテロがクソだってのは地域文化国籍問わず誰しもが認める所ではないだろうか。というか、当たり前の道徳と言っていいと思う。

その最低限の道徳すら守れない奴ってなんなんだろう。どういう顔をして女児に爆弾を括り付けるのだろう。全然理解できない。私とは思考回路が全く別物なんだろう。

ただ、その「思考回路」が実はそれほど違わなかったとしたら、と考えると少し怖い。つまり、高校生がオッサンになればオッサンの考えが理解できるようになるのと同じく、テロ実行犯と同じような成育歴をたどったらどんな人間でも女児に爆弾を括り付ける正当性を理解してしまうのではないだろうか、ということである。

少なくとも私は誰かを殺したいと思ったことは無い。が、場合によっては人を殺したいと思って実際に殺す場面があるかも知れないと思うと、今度はテロへの怒りから大脳のメカニズム、恐ろしさ、神秘性みたいなところに思考がうつっていき、なんかもう良くわからなくなってくる。俺は何が言いたいんだ。