ホストの気持ち

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雑談です。

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こないだとある記念日があり、近所のスーパーでスパークリングワインを買って飲んだ。その蓋を見て、そういえば「ウシジマくん」でこんな話があったのを思い出した。

その物語の主人公はNo.1を目指す駆け出しホスト。自分に恋心を抱くまだ未成年の女を店に連れ込み、「No.1の椅子に座らせてやる。あの椅子は王様と女王の椅子だ。でもそれまではこんなモンで勘弁な」とシャンパンの蓋で作った椅子、そしてコルクに爪楊枝か何かを差して手足を作り、顔を書き、女王に見立てる。それを見た女の方が、「あの椅子は二人の椅子でしょ。あなたが居ないとおかしい」ともう一つ同じものを作り、王様に見立てる。

主人公はNo.1を目指して日々めちゃくちゃな事をし始める。女に借金をさせ、何十万もする酒をオーダーさせ、最終的に風俗に沈み、そして女は自殺する。主人公は女の父親に「ごめんなさい」と泣いて謝る。そういう暗い話だ。でもまあ、私はホストになったことも無ければ、女に借金を作らせて風俗に沈めたことも無いのでその気持ちは分からない。想像するしかない。本当に暗かったかどうかはやってみないと分からない。

そういうことを考えながら、ふたで椅子を作ろうとするが、これがまた難儀である。作中だといとも簡単に作っているが、そんなふうにはいかない。私は工具箱からニッパとラジオペンチを取り出してようやく作った。作者はこのシーンを書くにあたり、実際に椅子を作ってみたりしたのだろうか。したのかもしれないし、していないのかもしれない。それも想像するしかない。実際に作ってみて道具が必要だと分かったとしても、ラジオペンチとニッパでせこせこ作る姿は物語の流れにおいて異質になるので省略して書くしか無かったのかもしれない。そもそも作者だって、わざわざニッパとペンチを引っ張り出して同じような物体を作ろうと試行錯誤するアホを想定してはいなかっただろう。

人はなぜ似たような人と付き合うのだろうか。サラリーマンはサラリーマン同士でのみに行く。女子は女子で20歳も後半を過ぎながら「女子」会と称して集まって飲む。男女ともに不細工なカップルもいれば、男女ともに美男美女であるカップルもいるが、片方が不細工で片方が美形というカップルは、少なくとも両方が同レベルであるようなカップルよりは少ないように思える。ヤンキーと東大目指して予備校に通うガリ勉は友達になることは殆どない。これらはなぜか。

私は、人は他人の気持ちを完全に理解することができないからだと思う。想像力の限界があると言い換えてもよい。サラリーマンに20歳も後半を過ぎて女子を言い張る女の気持ちは理解できない。女子も仕事や家庭の軋轢で生ずるオッサン特有のストレスを理解できない。美人は不美人の気持ちを理解するのは難しいだろうし、逆もそうだろう。中古のアルファードの車高を目いっぱい落としてガリガリと縁石にすらせて車を走らせる高校中退ヤンキーの気持ちを塾に通って微積分の問題を日々説き続ける受験生は決して理解できないだろうし、逆もそうだろう。

結局、人の想像力には限界があるので、自分がその立場になってみないと分からないことというのはごまんとある。しかしながら、「気持ちを理解する」それだけの目的で自らをその立場に置く、すなわち、受験生が一切の参考書を打ち捨てて直管マフラーを中古のXJR400に据え付けて夜半に甲州街道を走らせるというのも無理な話であるし、逆にヤンキーが自身の愛するヤン車を後輩に破格の良心的な値段で譲ってそのお金で高卒認定を取り、日々塾に通って三角関数から勉強しなおすというのも無理な話だろう。

従って人は似たような人と付き合う。お互いの気持ちがある程度理解できる人を選択して選択的に付き合いを始める。蓋し合理的である。人の中には「理系人間のように損得勘定で人生を過ごすのはさみしい人生である。やっぱ人情よね」みたいな意見を主張する人も何割かはおり、私も何人と出会ったことがあるが、はっ、笑かせてくれる。結局人間のすべての行動は何らかの理由があってその結果として生まれるのであり、そこには程度の差こそあれ何らかの合理性が意思決定をサポートしているのである。

ここで私が純粋に残念だと思うのは、そのような気持ちのすべてを理解することができないという事である。私は欲張りなので、様々な人生を経験してみたい。100人いれば100通りの人生があるのに、我々が経験可能な人生は1つしかない。であるから、保守的にもなる。安全牌を切りたくもなる。その結果無難な人生となる。良い。私が望んだ無難な人生である。合理性に裏打ちされた、身の丈に合った人生である。しかしながらそれでも外の世界を見てみたいとは思う。

「量子宇宙干渉機」というホーガン作の小説があり、それは、少しずつ違った平行宇宙の別の自分を体感できる機械が生み出される話だ。そういう機械があれば、私は別の世界の自分を体感することが出来る。人生の節目節目の選択の方法によって、最終的にホストになった自分に出会うかもしれない。そしたら、あのシャンパンのフタで作った王座を女に渡すときの気持ちを理解できるだろうか。ホストがフタで王座を作ったときの気持ちと、工具箱からラジオペンチとニッパを取り出してきて、せこせこ椅子の形にワイヤを整形するアホの気持ちが合流した時にどういう発想が生まれるのだろうか。そういうことが気になる。