CEATEC 2014 自動運転とマツダ

CEATECに行ってきたので色々書きます。

CEATECは初めて行きましたが、色々見るものが有って面白いですね。どちらかと言うと展示会の中でも一般のコンシューマが見て面白いものに傾倒していますが、そう言うものは正直技術的に先進性や新規性が有るものが少ないです。大企業がとりあえずで出しているような印象を受けました。

そういうものばかりが注目されがちですが、本稿では私が技術的に優れていると思った製品や、メディアが余り触れないような部分などを中心にレポートしたいと思います。

自動運転の実現に向けて

「自動運転の実現に向けて」というタイトルで一通りの講演とパネルディスカッションを聞いてきたので、内容で印象に残ったところを簡単に記します。手書きのメモと記憶から内容をたどっているので間違っているところがあるかもしれません。若干私の言葉が混じっていると思ってください。

講演者は慶應義塾大学 大学院施策・メディア研究科教授 大前 学 氏。

自動運転が注目され始めたのは最近であるが、自動運転技術の研究自体は1960年代から工学技術院にてすでに行われていた。なのでこの分野では自分(大前先生)も新参者とのこと。90年代に行われた前を走行する車に追従して走行する試験走行の動画を紹介。素人目に見るとかなり精度良く追従できている気がする。

2011年の東京モーターショー(たしか)にて披露された大前先生の自動走行運転のデモを撮影した動画も紹介。このときはプレスが1社こなかったそうで、まだまだ注目度は薄かった。内容は、自動迎車、自動駐車、単独自動運転、隊列自動運転など。かなり精度よく自然に運転できている印象を受ける。隊列走行は各社が車間距離を詰めて走行する方法。交通容量の拡大と燃費の向上がメリット。

続いて紹介する動画は人間による緊急時のブレーキ制御の反応時間について。被験者は自動運転する車の運転席にずっと乗せられ、自動運転がうまく働かなかったときにブレーキを踏んで車を停止させなければならないと説明されるが、実際は実験者が意図したタイミングで意図的に車を道から逸らさせる。人間が長時間自動運転する車に乗っていて飽きてきた頃にどれだけ素早くブレーキが踏めるかというテストだ。

これが、自動運転が始まってから30分たった程度で車を逸らすと、被験者の反応時間はそれなりに一定の値に収束しているが、1時間たつとかなりばらつきがでる。運転者も、眠っていたりよそ見をしたりとかなり飽きてきているように見える。

なぜこのような試験をするかというと、ウィーン条約やジュネーブ道路交通条約において、ロボットによる自動運転であっても、必要に応じてすぐに人間がロボットによる操作をオーバーライドして安全に停止させることができるような仕組みにしておかなくてはならないと規定されているため。

次の話題は自動運転している車の速度制御(アクセルコントロール、ACC)について。車の速度制御は大雑把にわけて2パターンある。前を走行する車がブレーキを踏んだ時、ゆるやかに速度を落としていくのか、それとも距離を詰めていって近くなったらブレーキを踏むのか。人間により近いのは後者。燃費や渋滞への影響上有利なのは前者。市販車の速度追従型クルーズコントロールの制御方法を調査すると、前者と後者のどちらもが見られる。後者はステレオカメラに多い。これは、ステレオカメラのセンサの誤差が大きいせいもあるらしい。

ミリ波レーダーはドップラー効果で周波数測定するだけで速度が判明するが、ステレオカメラは微分をとって距離から速度(加速度)を求めないとならないし、ノイズが大きいのでフィルタをかけると更に応答が悪くなる・・・という感じ。アイサイトは優れたシステムだと思っていたが、なるほど、考えてみるとそのとおりである。速度を求めるのにどうやっても数枚の画像を撮影する必要がある。

また、車車間通信(しゃしゃかんつうしん)の重要性についての話題。規格を共通化し、車同士で情報をやりとりできるようにしないと自動運転システムは余計に安全マージンを取らなければならない。そうすると旨味はうすい。ただ、車車間通信の難しいところは「どの車が情報を発信しているのか」が容易に判別できないこと。この点を解決するために、車後部に設置されたLEDから光を用いて車固有のIDを発信して特定させる方法の実験動画も紹介された。

さらに、車車間通信に加えて、インフラとの通信もありうる。たとえば大型ショッピングセンターでの駐車システムなど。高所に設置されたカメラで監視して車が制御できるのか?と思われるかもしれないが、結構うまく制御できてしまうとのこと。

先生の発表はとても人間らしく、聞いていてとても興味が湧くと同時に、なぜかほのぼのするところがあった。先生の話し方がそうさせているのかもしれないが、自動運転というとなにか機械的で冷たい印象があったが、ちょっと意外だった。

すべての人に「走る歓び」を提供し続けるための自動運転技術

マツダ株式会社 常務執行役員 ビジネス戦略・商品・デザイン・コスト革新担当 R&Dリエゾン室長 藤原清志 氏。基本的な内容としては、マツダ愛あふれる私としてはほとんど知っている内容にとどまった。正直、もうすこし新しい話を聞きたかったというのはあるのだが…。

マツダの目指す自動運転とは走る歓びを提供し続ける自動運転。それは、正しい運転をすることから生まれる。正しい運転とは、正しい認知、判断、操作の組み合わせからなる。ここにノイズとして、人間のミスや高齢化による判断能力の低下、悪いインフラ状況や交通環境などがあげられる。高齢化というのはひとつのキーワードになる。なぜならば、日本はこの分野においてフロントランナーだからである。

自動運転が目指す未来は大きく分けて2パターンある。一つ目は、機械中心の自動運転。機械が全部やってくれて人間は何もしなくて良い。人は快適を求める。2つ目は、人中心に考える自動運転。あくまでも自動運転技術は現在の先進安全技術の延長線上にあり、人間のサポートをする。人間は能力を発揮することを求める。

これはどちらが良いということではないが、マツダが目指すのはどちらかと言えば2つ目の方。それは、明らかに2つ目のほうが人間らしいから。Be a driverというのがマツダのスローガンだ。たとえば、田舎のおじいちゃんは元気だ。なぜかといえば軽トラを運転しているから。軽トラはマニュアルだ。ちょっと複雑な操作をすることで脳に良い影響をおよぼす。マツダが最近注目しているのはフロー体験。これは人間が集中して物事にのめり込んでいる時の心理状態を指す。自動車の運転はフロー体験を起こしやすい。

ではどのようにしてそれを自動運転と融合させるか?そのヒントというか概要は次のような感じだ。人が運転している時、車は同じように仮想的に運転を行っている。ドライバーに何か異常が現れた時、瞬時に人間の操作をオーバーライドして危険を回避する。そういうものになりそうだ。異常を検知するのは人間の脈拍や表情、体重移動などから予測する。最終的には心筋梗塞になって突然意識を失っても安全に停止できるようなものを想定。

また、マツダがサーキットでアクセラを自動運転で走らせる実験の動画も紹介された。プロドライバーがトレースするラインと同じ理想的なラインで自動運転ができるのは心地よい。しかし、氏は「この程度だったらどこのメーカーでもできる」と断言。決められたラインに沿って運転させるというのはそれほど難しいことではないが、状況を自在に判断して走行ラインを判断させるというところに自動運転の難しさがある。ここらへんは興味がある人は「フレーム問題」ということについて調べてみると良いだろう。

自動運転技術はすべての車に搭載する。軽も小型車も。マツダは安く、軽く、どの車でも、フレキシブルにという力強い言葉が印象に残った。車重が「車を意のままに操る」ために非常に重要なパラメーターであることは、車好きであれば誰しもが理解できる素朴で純粋な事実である。だが、実際に軽さを重視して作られた車は少ない。そういった中でデミオはずっと1トン前後の車重を維持してきた。ディーゼル搭載車ですらMTモデルは1100kgを切るのである。これはすごいことだと思う。

また、どの車でも、というのも重要なキーワードである。マツダはクラス概念を打ち破る車としてデミオを開発した。従来の車は極論すれば「デカくて重くて高級」か「小型で軽くて安くて安っぽい」の2パターンだった。デミオも同じように展示されていたのだが、あの内装の質感の高さはとても驚いた。まさにクラス概念を打ち破るという言葉にふさわしい。所有欲を掻き立てる完成度だ。別記事で画像も載せる。

もう一つ、氏の発表で気になったのは「田舎のおじいちゃんはMTを運転するから元気」という言葉だ。ちょっとウケ狙いの例示に本気で突っ込むのはどうかと思うが、これはちょっと同意しかねる。田舎のおじいちゃんは元気な人だけでもない。実際に田舎に住んだことがある人ならわかるだろうが、ずっとセカンドで走行したり、右によったり左によったり、よそ見をしたり、急ブレーキを踏んだりと破滅的な運転をするおじいちゃんも多い。というか大体はそういうパターンだろうと思う。車を運転するから老後も元気、という論理はちょっと私には厳しいような気がする。老後は完全自動運転にまかせて、フロー体験は車以外の趣味で得たほうが良いのではないだろうか。

パネルディスカッション

登壇者は、大前先生のほか、マツダ株式会社技術研究所主幹研究員の栃丘孝宏氏、野村総研のグローバル製造業コンサルティング部エレクトロニクス産業グループ グループマネージャーの晝間 敏慎氏、 経済産業省 製造産業局 自動車課 電池・次世代技術 ITS推進室長 吉田健一郎氏。モデレータは日経Automotibe Technology 編集長 林 達彦氏。

みんな肩書が長すぎる。なんだこれは。もし私が会社を設立し、偉いポストの肩書をつけるのであれば、もっと短い名前にしようと思う。「XX株式会社 車関係担当 俺」とかね。

もう書くのがつかれたので、パネルディスカッションは印象に残ったところのダイジェストを。

運転するという贅沢

NRIの人が「私個人としては自動運転なんていらないと思っているが、将来、運転するという贅沢がどこまで認められるか」と言っていた。これは私もずっと思っていた課題というか、謎というか。つまり、こういうことである。

単に移動手段としての車であれば、機械が運転したほうがあらゆる面で優れるようになるだろう。交通のキャパシティを広げる。燃費を向上させる。安全になる。そういうことが実現された社会では、人間が運転したいという気持ち、つまり、機械よりも不安全な運転方法をとる代わりに人間個人が走る歓びを得るというのは贅沢になるということである。これは非常にまったくその通りである。私はマツダはじめとする、各メーカーが言う「人中心の自動運転」といった話がこの点ですごく疑問であった。走る歓びを味わいたい、それは確かにそのとおりだが、どこまでも人間中心に考えるわけにも行かないだろう。どこかで線引はしないといけない。もちろん、マツダの中の偉い人もそれは重々承知しているであろうが。どういう結論を出すのか、楽しみではある。

「機械中心の自動運転」は車である必要があるのか?

大前先生: 機械中心の自動運転をやりたいとなれば、それはつまり全自動の輸送手段を用意するということ。だったら、全自動の輸送手段を実現させるためには必ずしも車の形である必要はない。

これは私もなるほど!と思った。自動運転という枠で考えると車から離れた発想は難しいが、本来は輸送という大きな枠組でフレキシブルに低コストで安全に大容量な方法を実現するためにはどうしたらよいかというのを考えれば、必ずしも車である必要はない。

 コストの問題

自動運転が広く普及するには必ずコストの問題が付きまとってくる。この点に関してどう思うかということに対して。

大前先生:

たとえば、エスティマの中古を検索したら安全装備がフルに付いているものは相場よりも40万円ほど高かった。400回乗ったとしたら1回あたり1000円という計算になる。これでペイするかどうかと考えるとどであろうか。ただ、安全というのは本来プライスレスであるはず。安全装備はついていて当然とも言える。安全にかけるコストは他のコストとはちょっと意味合いがちがう。400回のって1回あたり1000円という計算をするのではなくて、救われた命をカウントしてほしい。一人でも救われた命があれば、コストは格段に安く感じる40万はずだ。技術的にはドラレコなどを使って緊急回避したときを1カウントとしたらよい。(モデレータの林氏:それをクラウドで共有したらきっと面白いはず。)

NRI晝間氏:

命の値段というお話があった。グローバルで見ると、残念ながら命の値段は違う。人名よりもその他が優先されるような地域はある。そういう地域では、日本人が「こんなもの使いものにならない」という性能で安い簡易的なシステムなんかでも十分に役立つ場合がある。ボトムアップ的な思想でシステムを形作っていくとそういうところまで取りこぼさないかもしれない。

マツダ 藤原氏:

コストについては、自動運転というシステムを他に転用することができないか、付加価値を付けれないかということも模索している。

経産省 吉田氏:

コストの問題に関して言えば、かかったコストは正確に把握できるだろうがパフォーマンスを正しく測定できているか?というところが疑問ではある。普及してマクロで何人交通事故車が減るのか?という予想が重要。

という感じ。

感想

私は、「機械中心の自動運転」「人間中心の自動運転」この2つは相反するものではないと思っているがどうだろうか。機械中心の自動運転が最終的にドライバーが寝てても飲酒してても勝手に目的地に着く能力を獲得したら、そこで人間の操作がある程度介在してもうまく制御出来る程度のロバスト性も獲得しているだろう。人間中心の自動運転という観点でも、人間のミスを減らすという点で安全を突き詰めていけば、最終的には車車間通信を装備し、マツダが言うようにドライバーが運転している間もずっと仮想的に機械も運転しているような仕組みになるだろう。機械が常時正しい認知・判断を行っているとすれば、それは、機械中心の自動運転と同等の能力は獲得できているといえるのではないだろうか。

そういうふうに考えているので、今は各社の方向性は違えど、最終的にたどりつく場所は同じようなところである気がする。公演の中では「どちらの道筋をたどるにしろ、必要とされる要素技術は同じようなものである」とも言っていた。

私個人としては、まずは高速での自動運転を早期に実現していただきたい。単調な道を長い時間走るのは面白く無いし、本質的にキャパが足りないから帰省シーズンや連休に渋滞が発生しまくるのである。これが一番疲れる。高速に限れば自動運転の困難さはずっと減るだろう。隊列走行が可能になれば燃費もずっと改善されるし。