インドの昼飯、秋田の朝飯

実家に帰っている時思ったのだが、やっぱり田舎は時間の進みがゆっくりしていると思う。

東京にいると、朝から道路は車であふれ、隣近所の敷地も狭いので嫌でも隣人の生活が感じられる。朝から世界が回っている。人間があくせく動いている。家事をしている。仕事をしている。という雰囲気がひしひしと伝わる。すると、自分が余暇を過ごしている時でも何かしなければならないという急かされている気分になる。すると時間の進みが早いような気になってくる。

秋田にいると、朝起きても何も聞こえない。自然の音しか聞こえない。隣家との距離は離れていて、隣人の動向は分からない。すべて自分のペースで物事が進む。世界が自分のためにあるような感じすらしてくる。そうするとストレスは無い。時間はゆっくりと自分のために進んでいるような気持になってくる。

秋田で食う朝飯はそういうところが良い。今後の予定に左右されず、とりあえず今日やることは朝飯を食ってからゆっくりと考えようかという気分になる。

インドに滞在していた時も似たような感じであった。休みの日に町の料理屋でゆっくりと昼飯を食い、ビールを飲んでいた。時間の流れは同じくゆっくりであった。ただ、不思議なのはインドでは道路に車やリキシャ、人間があふれていて、渋滞している所にさらに牛が突進してきて往来はクラクションの嵐。よく交通事故も起きる。

飯を食っている時もクラクションの音は鳴りやまず、往来でギャーギャー騒いで歌を歌っている声が聞こえてくるのだが、不思議と急かされている感じは無い。これは国民性もあるのだろうか。インド人はすごく時間にルーズだ。

インドで汁の無いヌードルを食いながら、キングフィッシャーという良く言えば飲み口が良い、悪く言えばコクが無い、しかしそれなりに旨いがやっぱり俺は世界のアサヒが良いな、というような感じのビールを飲み、往来の牛を眺めるという時間はそれなりにいい経験であったと思う。またインドに行きたいとは思うのだが、インドの国内線(航空)がとっても酷く、二度と乗りたくないレベルだし、そもそも日本から結構遠いということもあってなかなか難しい。

最近良く思うのが、子供が出来てからすべてが子供中心の生活になり、ちっとも自分で好きなことをする時間が無い・・・というのは実は思い込みであって、ひょっとすると自分で好きなことを思い切りやっててもうまく行くのではないか、ということである。嫁さんも同意見のようで、じゃあ自分の好きなように好きなことをする、それはすなわち、たとえばちょっとおしゃれでそれなりに空いている料理屋などに一人で出向き、昼からワインを飲みつつ窓の外の牛を見る・・・もとい、人々の往来を眺める、などの行為をしても、意外に家庭は円満になるのではないかという気がする。

あと、ひそかに計画しているのが、我が家の屋根は一部平らになっている部分があるため、そこに柵を設けて簡易的な屋上として利用するという事である。家を建ててすこし心残りなのが、やはり屋上が無いということだ。私は雪国で生まれ育ったため、屋上がある家というのは憧れだった。雪国で屋上は利用できない。

今回、私の家を建築するにあたっては太陽光発電設備も設置しているがために屋上は作れなかったのだが、やはり憧れではある。へーベルハウスなどを見かけるとちょっとうらやましい。しかし、高気密高断熱性能と屋上のどちらを取るかといえば、やっぱり高高住宅だな。と、思うのである。