交通事故には気を付けよう

夏になるといくつか思い出すことがある。

そのうちの一つが高校の時に体験した交通事故現場。私の住んでいたところは秋田の田舎で、交通量もあまりないような道路だった。国道108号線が通っていて、これは秋田県の由利本荘市から宮城県の石巻市まで、日本海から太平洋まで東西に通るような道路だ。国道のくせに路面状態が良くなく、由利高原鉄道という由利本荘市から矢島までをつなぐディーゼル車が国道を横切って踏切を作っている。国道に踏切があるなど、少なくとも私はここ以外に知らない。

まあそういう108号沿いを、私は高校まで自転車で通っていた。標高差50m、片道12kmのなかなかきつい道のりであったが、信号もほとんど無いので気持ちが良かった。

ある日のこと。時刻は午後6時ごろだろうか。薄く暗くなった国道沿いをいつものように走っていると、国道沿いに小さな食料品を扱う店があって、そこの前の歩道にある縁石に男が顔を両手で覆い隠して座っていた。年はまだ20代だろうか。若かった。

そして道路には黄色いスポーツカー(たぶんロードスターかS2000だったと思う)がタイヤ痕を残して歩道に乗り上げており、そのそばに救急車が停まっている。そして今まさに救急隊員が負傷者を運びこもうとしているところであった。

その光景は意外にもいつもの風景に比べてあまり違和感がなく、前にもこういうことがあったような気さえしていた。

その食料品店というのが、まあ、田舎によくある小さな商店みたいな感じで、近くにほとんど店が無いようなところなのでここは頻繁に利用するところだった。そういうなじみの深いところだからだろうか。もしくは、まだ若かったので、あまり事態を呑み込めていないというだけだったのかもしれない。

それを横目に私は現場を通り過ぎ、家に帰った。次の日、その事故が新聞に載っていた。自転車と車の事故であった。自転車が道を横切ろうとしたときに車にはねられたという状況らしい。かなり見通しの良い直線道路であるので、どちらかがよそ見をしていたのか、車の速度超過か。なんとなく車側が悪いような気がするが詳細を知らないので何とも言えない。

どこから情報を仕入れてくるのだろうか、母が言うには「東京から大曲(現在の大仙市)まで自転車で帰る途中だった」そうだ。事故現場から大曲まではだいたい40~50kmだろうか。事故が無かったら、その日の夜には家に到着していただろう。到着を待っていた家族もいただろう。その日は飯を食ってビールを飲み、風呂に入ってゆっくり眠りについたことだろう。しかしそれは叶わなかった。それを思うと、他人事ながらも、なんとも無念な気持ちとなる。

車を運転していた、あの男もさぞ動揺したであろう。縁石に腰かけて顔を手で多い、何を考えていたのだろうか。警察からの聴取。拘留。裁判。遺族への謝罪。死亡事故であれば基本的には懲役刑で執行猶予が付くことが多いようだが、まあ職はたぶん失うだろう。友人知人にもあいつは死亡事故を起こしたと噂される。遺族にはどれだけ謝罪しても許されることは無い。

夢であってほしいと思っただろう。時間を戻すことができたらと思っただろう。バイトしたり親に頼み込んだりして金を工面して、免許を取り、就職してローンを組めるようになったのだろう。元々車が好きでオープンカーを買った。自分の愛車をようやく手に入れた。休みの日はワックスをかけてたのかもしれない。友人に自慢して、彼女を隣に乗せたのかもしれない。そして今、何の罪もない人を殺してしまった。その十字架は死ぬまで背負うことになるだろう。

つまり私が言いたいことは事故を起こしても誰も得しないということである。んなもん当たり前の話ではあるのだが、そういう当たり前を常に意識することは難しいし、さらに人によっては自分は大丈夫だと過信することもあるだろう。だから警察はしょっちゅう交通安全運動を実施している。私もそれを忘れないようにと思い、こういうことを書いてみた。