魔法少女まどかについて

私は普段アニメをあんまり見ない。が、最近見た中だと、「魔法少女まどかマギカ」がそれなりに記憶に残っている。本作は第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞ということで気になり、見てみた。ということで感想を書きたい。数年前の話だけど。私は別に評論家では無いので、思ったことを何も考えずすぱすぱ書いていこうと思う。ちなみに見たことある人向けの記述になっている。

ちなみに、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の受賞作は良作が多い。だから受賞するんだろうけど。おすすめ。

ストーリー

「何度も同じ世界を繰り返す」というプロットはいささか食傷気味だ。ただ、まずはじめに何度も繰り返す世界がありき、ではなくて、全体のストーリーから考えれば自然であるので受け入れやすい。全体を通して良くまとまっていると思う。終わり方も、みんながみんなハッピー、みたいな安易な終わり方でない。

最初は魔法少女って素敵よね!!みたいな明るい調子で始まり、だんだんと現実を知るに従ってダークになっていく。やがて訪れる閉塞感から主人公が真実を知って覚醒、自らを犠牲にして悪を打破するという流れがわかり易く、しっかりと起承転結ができており、流れのテンポも良い。

赤いやつの存在意義

しかし見終わったあとに全体を思い返してみると、あの赤いやつの存在意義がよく分からなかった。物語中盤にいきなり敵か味方かわからない、謎の魔法少女として登場してきて、突如不幸自慢を開始、いかに自分が不幸せであったかを遠回しに力説するなどして同情を買おうとする、などという構ってちゃん的行動を取ったのち、いろいろあって、最終的には特にストーリー本筋に大きな影響を与えることなく、見終わった後は「どんな感じだっけ」と記憶をたどらなければ分からないような役柄であった。

いかに魔法少女が悲惨であるかという事実を補強するような題材にはなっている気がするが、赤いやつがいなくともそれはもうすでに十分すぎるほど見ている人に伝わっていると思う。私が思う悲惨シーンのクライマックスが、あの水色が好きな男子を諦め、普通の女の子から魔法少女へ、魔法少女から魔女へと少しずつ染まっていくあたりだと思う。水色が主人公と仲が良く、その中が良かった水色が変貌していくというのが重要であって、悲惨さを伝える題材としては、ぽっと出の赤色よりもずっと深いと思う。

以上のように考えると、どうしても赤色というのは、全12話を満たすために追加された箸休め的な感じがしてしまう。

話題の首ちょんぱシーン

可愛らしい絵柄とは対照的に、良くわからんバケモノに頭を食いちぎられて絶命するというシーンはかなりショッキングで、当時かなり話題になったと記憶している。しかし、実際見てみると、まあ、前提知識があったせいか、それほどでもない。ショッキングはショッキングだけど、それは、どちらかというと意外性という意味である。頭をガブリとやられてから数秒はまだ生きていて、「ひぎゃああああ」とか叫ばせて衣装が血で染まっていく、などというくらいはやってもよかったのではないかと思うけれど、本質的な違いは無いし、AKIRAでカオリがつぶされるシーンの二番煎じみたいになってしまうかもしれないので、あの程度でよかったとも思える。

それよりも私はその後の葬式シーンをもうちょっと盛り立ててほしかったように思う。人の死を現実的に扱うアニメというのはあんまりない。大体が、綺麗な顔で静かに息を引き取り、仲間が死にゆく仲間の名前を叫んで終わりというパターンだ。

しかしながら現実的の人の死というのはそんなに生易しいものではない。人が死ねば葬式が始まって、同級生や親戚、親、兄弟などが集まり、故人が若ければ、親や親友がたまに気が狂ったように泣きわめくシーンだってあるだろう。白と黒のモノトーンがひたすら弔いのムードを演出してどんどん気鬱になる。雨が降る。故人の鼻には脱脂綿が詰め込まれ、皮膚は冷たいのに柔らかくてゴムのよう。肉塊という表現が正しい。毎日一緒だった仲間はもう二度と立ち上がることは無く、文字通り魂が抜け落ちてしまって、そこにあるのは抜け殻だ。

つまり、本来人の生死というのは重大事件なのであって、重大事件を重大事件として登場人物が扱っていないようなそぶりに私は違和感を覚えるという感じ。

でもあんまりやりすぎるとそれはもう、魔法少女じゃなくて葬儀屋の跡取り娘みたいな話になるのであのくらいでよかったと言えばよかったのかもしれない。しかし、個人的にはもうちょっと突っ込んだ生々しさを表現してほしかった。

親の存在

人の死がアニメで希薄に扱われるのと同じように、最近のアニメはどうも親の存在が希薄でいかんと思う。人間は親から生まれて親によって育てられる。その関係は生物的にも文化的にも精神的にも重要な役割を果たしていると思う。しかしながら、主人公の日常生活の描写の中に親の存在をほとんど感じさせない。これはどういう事だろうか。

30~40歳くらいの、兄ちゃんからオッサンへ、みたいな世代が中心となる話であれば、もう完全に親からは自立しているので親の存在がゼロであっても違和感がないが、学生が主人公なるようなアニメでは親の存在が薄いと変だ。

主要な登場人物が中高生の漫画やアニメなどで、親の存在が一切描かれないという漫画はたくさんある。考えるのが面倒なのか、描けないのか、描きたいことしか描いてないのか、意図的に省いているのか。そんな気がしてくる。そんな中で、一応本作は親が登場し、それなりに物語に絡んでくるので良くできたほうではあると思う。

親の存在がリアリティに溢れてて、物語にも積極的に関与してくる良い作品だと思ったのが、「アフロ田中シリーズ」だ。いまいち織り込ませ辛い親の存在を、面白おかしくギャグに昇華させているのはうまいと思う。

また、別の観点で「茄子」などの著者である黒田硫黄氏は「僕は登場人物が何を食っているのか分からないようなマンガはだめだと思ってるんです」と語っている。なんとなく、親の存在はこれと同じような気がする。つまり、飯や親といった生活感の感じられる要素が無いと、リアリティも感じられない。リアリティが無ければ登場人物への感情移入もできないもしくは度合いが小さくなる、という風に思う。

AKIRAで金田がサンマを食っているシーン、ジブリ全般のメシのシーン、そういうのは地味で目立たないが作品を特徴づける潜在的な効果があるような気がする。

やりすぎ感

まず家がデカすぎる。どんだけ豪邸に住んでいるのだろう。リビングなんか40畳はありそうだ。ガラス張りで冷暖房効率は最悪だろう。セントラルヒーティングを導入しているのだろうか。電気代は月10万前後かかるのではないか。

あとは親が若すぎる。20代、下手をすると子供と同年代くらいに見えてしまう。一体いくつの時の子なんだろう。まあ、魔法少女が狭くてぼろいアパートから出てきたら「魔法少女のくせにぼろアパートかよ・・・」って感じだし、両親が老けてたら「やっぱ年取ってから生まれた子供なのかな・・・」って感じになるので、両親は若くて家もそれなりに新しくて高級住宅街、って雰囲気の方が良いのだろうけど、それにしてもものには限度というものがあるのではないか。

きゅうべえ改めインキュベーター

物語当初から、可愛いんだか不気味なんだかよくわからない、いや、やっぱり表情が無くて不気味なきゅうべえ。物語も中盤に差し掛かったころ、『きゅうべいとは「インキュベーター」だっ』ババーン!みたいに真実が告げられ、ええっ、インキュベーター?インベーダーだかサーキュレーターだか分からない、なんか知らないけど怖そうな化け物だなあ。恐ろしいなあ。みたいになる。

しかし私は、インキュベーターというとビジネス用語のインキュベーターを思い浮かべてしまう。Incubatorとは、保育器、ふ化器のようなものであると辞書を見ると載っているが、転じて、若いベンチャー企業に対して積極的に投資・経営支援する団体や会社、または、新しい技術を積極的に取り入れ、クリエイティブなことをする企業文化などのことを指す。なので、インキュベーターと言われると、「すごいなあ。若くしてがんばってるなあ」みたいな気持ちになってくる。

英語圏でこれはどういう風に思われているのだろう。検索してみたところ、きゅうべえはkyu-beyもしくはincubatorというふうに記載されており、英語圏でもincubatorという語は使われているようだ。だが実際にアニメの中で使われたかどうかまでは分からなかった。

incubatorは保育器だから、この保育器野郎!孵化野郎!みたいな意味合いになるのだろうか。ふ化器というと、私はニワトリの卵の保温器や、グッピーが産み落とした稚魚を保護する水槽の中に入れる二重底の箱などをイメージしてしまう。それとも、英語圏でincubatorと言われれば、うーん、なるほどー、ベリナイスなネーミングねー。わかるよ分かるヨー、みたいに受け取られるのだろうか。とても気になる。

自衛隊の武器弾薬を盗むシーン

私は軍事が好きなのでそういう観点でも見てしまうのだが、アニメや漫画で火器類が正確に描写されている作品はあまりない。たまに正確な描写の作品もあるが、そうすると今度は作者がいろいろと解説を交えたり、解説じみたセリフをしゃべらせたりと押しつけがましくなってくる。ここあたりはどうにかならんのか、と思う。

で、本作品では登場人物が陸上自衛隊基地から武器弾薬を盗んでくるようなシーンがある。陸上自衛隊基地から武器弾薬が無くなったとなれば大変なことである。陸上自衛隊は、訓練で撃った銃弾の薬きょうの一つまで個数を確認し、無ければ隊員全員で草むらをローラー作戦するような組織である。武器弾薬がごっそり無くなったとなれば、偉い人の首がポンポン飛ぶ事態になるだろう。

まあそれは良いとしても、武器弾薬の重量があまりにも軽視されているような気がしてならない。アニメでは拳銃から小銃、果ては機関銃からロケット砲や無反動砲のようなもの、さらにはミサイルや航空機用の投下爆弾のようなものまで使用されている描写がある。

拳銃はまだしも、小銃からは結構な重量がある。火器の具体的な種類や型番などは分からないので類推になるが、自衛隊で標準的に採用されている豊和工業製89式5.56mm小銃は3.5kg、62式7.62mm機関銃は10kg、84mm無反動砲は16kgになる。この重量のある火器類を、あんな手足の細い少女が振り回して敵をやっつける、というのがとても違和感がある。

投下弾に至っては、作中ではGBU-28、いわゆるバンカーバスターと思しきものが使用されている。これはその名の通り、地中深くまで到達した後に爆破するようなものである。地中深くまで到達させるために本体は細長い形状になっており、それなりの重量を有する。これは、地中深くまで刺さるために空中投下することによって得られる運動エネルギーを利用するからである。そしてその重量およそ2t。とてもでないが、人間に運べるようなものではないので、航空機を使用して投下しなければならない。ではどのようにして投下したのだろう。航空機の運用にも長けていたのだろうか。

しかも、爆発時の描写も正しくなかったような気がする。私の記憶が間違いなければ、バンカーバスターは空中で爆破していた。前述のとおりこれは地中で爆破する爆弾であるために空中で爆発するのは正確でない。

とまあ以上のような突っ込みどころがあるが、じゃあ正確に描写すればそれでよいかというと、それも微妙だ。正確に描写するならば、魔法少女はムキムキもマッチョでないと辻褄が合わない。しかも武器弾薬の扱いに長け、航空機の運用も可能な筋肉に加えて特殊技能も要求されるのである。そんな頼れるタフガイ、もとい、ダフガールがムキムキの肉体で重火器を振り回して戦うというのは、もはや魔法少女というよりは物理系、ガテン系である。魔法少女怒りのアフガンって感じである。しかし物語の舞台はアフガンや紛争地帯、または冷戦中のソ連などではなく、現代~近未来日本といった感じであるので、これもまた辻褄が合わない。

シナリオのご都合に合わせるのか、正確な描写を求めるのか、どちらに振るかというのは難しいところもあるのだが、今回の例で行けば、そもそも陸上自衛隊の武器を盗むという描写自体を別のものに変えればよかったのではないかとも思う。つまり、理科室に忍び込んで薬局や化学系企業の研究室から盗んできた特殊な薬剤を合成して爆弾を作る、などで十分だったのではないか。魔法や魔女と化学はうまく混じりそうだ。

まとめ

全体的に良くまとまっているが、なんか都合の悪いところや描いていて面白くないようなところを積極的に省いている感じがある。いや、エンターテイメントなんだから描きたいことだけ描けばいいのだけど、そのせいでちょっと違和感がある。と、思う。