アクセス数6万突破した

どうも。

でもあれだな。ごめんな。大した更新してないのに。

しかし、月間6万PVくらいになればどこかのサイトがこのブログ自体を取り上げてくれたりとか、そういうこともしてくれるのかな、と思ったがそういう事もないね。「月間4万PV達成しました」という記事を書いたのが3月14日なので、およそ2か月で2万PVも伸びたことになる。すごいね。と、書くと、他人事のようだね。

私は昔からどちらかというと裏方の人間だった。クラスにはだいたい、スターダムまっしぐらの人気者と根暗な日陰者の二種類がいるが、私はスターダムになれず、かといって日陰者グループにも馴染めない感じであったと思う。ちなみに女性もどちらかというと裏方的な人のほうが好きで、芸能人よりとかだったらADとかのほうが好きだと思う。受付嬢とかよりだったら受付の横の自販機にジュース入れている感じのほうが好きだと思う。

まあ、それはいい。それはいいが、その、中途半端的なところがこのブログにもよく現れていると思う。いまいち、なんのサイトなのかよくわからない。政治、軍事、プログラム、DIY、車、などが入り混じっていて意味不明である。この中途半端なところがダメなのだろう。

しかしダメながらも月間6万PVもあるということは、私のようなダメ人間の書くコンテンツを見るダメ人間が6万人もいるのであって、それもまた驚きである。いや、そうではないかもしれない。そもそも私のサイトに興味があってアクセスしている人ばかりで構成されているという前提が間違っているのであって、大半は「あ、やべ。変なブログ見てしまった」と思ってすぐにページを閉じ、履歴からも消してるかもしれない。もし、そうであれば納得がいく。

元来、私は人から好かれるようなタイプではなく、私も他人を拒絶する節がある。仕事している時は絶対に敬語を使うし、業務以外の話はしない。友達も、ごく親しい人以外とは、飲み会以外で会うことがない。しらふで会うことがない。自分から遊びに誘うこともしない。私は一人でいたいのである。人に気を使いたくないのである。だからスポーツも個人技が好きで、バスケットボールやバレーなどのチームプレイを要求されるスポーツは大嫌いである。ジョギングとか水泳とかならそれなりに好きだ。登山もやったことないけど、やりたくて仕方ない。けれども時間も金もないので半ばあきらめている。

そういや趣味も大体個人技で、絵をかく、写真を撮る、車を磨く、などのチームプレイを要求されないものに限る。チームプレイを要求する趣味ってなんじゃ、と疑問に思った方もいるだろう。しかしいっぱいあるのだ。たとえばみんなでバンド。みんなでバーベキュー。みんなでツーリング。みんなでネットゲーム。麻雀。個人技以外のスポーツ。こういうものは駄目である。語学もダメである。語学は人と話さなければならないからである。また、バイクは好きだがバイクでツーリングもダメである。人と話さないといけないからである。

人と話すのがなぜ苦痛かというと、会話が途切れないように話題を探し続けなければならないのが苦痛。つまらない話を面白そうに聞くのが苦痛。主義主張思想が異なっていても共感しているようにふるまわなければならないのが苦痛。苦痛、苦痛の連続で私にとって会話とは苦痛でしかない。放っておいてほしい。しかし人間社会に生きる以上、ある程度の会話は要求されるのでこれもまた苦痛。

そうやって私は、私としては周囲に気を使って「あげてる」つもりなのだが、たとえば、「あなたは1対1だとしゃべるのにグループだと黙るのね。そういうのはぼっちの特徴よ」みたいなことを言うウンコたれ蔵がいるのであって、本当もう憤慨する。憤慨その1は、まず、ぼっちが「みんなと仲良く会話したいけど社交性が無いのでできない人」と定義していること。憤慨その2は「みんなと仲良く会話したいけど社交性が無いのでできない人」が私であると決めつけていること。憤慨その3は下らねー話をぎゃーぎゃー喚いてることが社交性を持つと勘違いしていること。憤慨その4はその間違った社交性の定義から、自身が社交性を持った人間であると結論づけて上から目線でしゃべってること。

しかし以上のようなことを説明して本人にわかってもらうことはほぼ不可能である。なぜならば、人様に対して無神経に「アナタ、ぼっちね!」などと決めつける行動をする人というのはバカであることが多く、かつバカに物事を理解させるのは苦労するのだ。苦労する割に見返りが無いので普通はやらない。普通はやらないようなことを私が進んでやることはない。したがってほぼ不可能である■

と、いうような感じで、私は人間が嫌いなため、そのような人間が書くブログにアクセスはないのではないか、という危惧があったのだが、事実はそれと反してアクセス数が上昇している。これすなわち、人間嫌いで人間を拒絶するような個人技メインの人間を見るようなまた別の人間がいて、その人間の中にはそういう事象を鑑賞して楽しむという趣向が内在しているということに他ならない。

簡単に言うと動物園みたいな感じであると思う。

動物園にいる動物それぞれは、皆、個人技であると言える。動物園に来る人間に媚びている動物というのはいない。皆、制限はかかっているものの、制限の中で個人技をしている。たとえば、ペンギンであれば池の中を泳ぎまわる。水面から飛び出してジャンプする。などの個人技に興じている。オウムであれば、あっちの枝に飛び移ろうかな、あっちの枝のほうが留まり易そうではあるなあ。しかし、ここにいたら別のオウムに挟まれているため、温かいというメリットもあるよなあ、ううむ、温かいというメリットと留まり易いというメリットをどのように勘定したらよいのか、などというジレンマに対してどのような解を見つけるかという思索をしている。これも個人技である。

ペンギンやオウムは人間に媚びたり会話したり人間との社交性を持ち合わせたりはしないが、人間はその生態を観察するということによって自らの好奇心を満足させるというメリットがある。つまり、このブログもそういう構図である気がする。

もしこの仮説が正しいのであれば、私は今後も個人技だけやっていればよいということである。もっと踏み込めば、つまり、好奇心を満たすという要求に対する解がこのブログを見るということであるならば、その特殊性は大きければ大きいほど良いのであり、今後はもっと個人技に特化して特殊なコンテンツを増やしていけばよいと思う。