金儲けの話

今日は金儲けの話だ。

このサイトの右側には広告が貼り付けてあって、ユーザーがこれをクリックしたりすると俺に金が入る仕組みになっている。最初は「レンタルサーバー代分くらい稼げりゃいいや」と思っていたが、いやいや、これが結構な収益を稼いでいる。これ、本気でやったら結構すごいことになるんでない?という気がする。

あとは、住宅ローンを信託銀行で借りたんだが、そうすると外貨預金とかの広告をたくさん目にするのであって、覗いてみると年率1.5%とかの利息が付くみたいだ。また、友達で株主優待券で何か買ったり、飲み食いしたりしてる人を見ると羨ましく感じる。

スマホを買ったことによっていろんなアプリをダウンロードして使ってるんだが、中には糞みたいなアプリもいっぱいあるのであって、これ、俺がもうちょっとマシなアプリを作り、80円とかの低価格で売ったら結構儲かるんじゃねえかなあ・・・って気持ちにもなってくる。

あとは前にちょっと書いたが、最近はニューラルネットとかの機械学習がホットになってることも相まって、為替変動の予測や、株の売買取引意思決定のサポートソフトなんかも簡単に作れそうだなあ(質は別として)などと思って画策している。

が、コンピュータ取引はどうも取引業者から嫌われることが多いらしく、相場の値段から大きく離れた売り注文とか買い注文とかしか出来ないような仕組みを導入しているところが結構あるらしい。(詳しくないので変なことを言ってるかもしれない)

だからなーんか、面倒だなーと思っていたんだけど、これ、俺が売買しなくても、ソフトにして売ればいいじゃん、と思いついたのであり、よくわからん競馬の攻略法とか、しょうもないパチンコ・スロットなどの攻略情報とかが売れるんだから、一応ちゃんとした計算をするソフトが売れないわけないと思う。

と、まあ、こんなふうに、金儲けの話というのは結構そこらに転がっているということに、最近ようやく気づき始めた。

というか、気づいてたんだけど、「儲かるわけない」「リスクが大きすぎる」と決めつけていたんだな。が、最近になって意識が変わってきた。昔から、私は「世の中に良い儲け話などあるわけがない」「うまい話には裏がある」などといろんな人から教えこまれて育ち、いつの間にかゼロリスクを追求したり、コストに見合わないような極端なリスク低減を考えたりするような思考に陥ってしまっていた。これは良くない。

インドである技術者の人から、「リスクを取らないというのはあまりにも馬鹿げている。いい例がIntelとSONYだ。Intelが8086にバグが有るのを承知で売りまくったのに、SONYはそうしなかった。結果、Intelのx86は世界を席巻し、SONYのCPUは流行らなかった」という話を聞いた。8086が出た時代に私は生まれていなかったので詳しくは知らないんだけど、8086に対抗できるSONYのCPUって何かあったのか?もしくは、SONYでx86互換CPUなんか作ってたのか?調べたんだけどあんまり良くわからなかった。まあ、とにかく、彼が言いたいことは、リスクを許容しなければ大きなチャンスは生まれないということだろう。それは今思い返すと、全面的に同意できる。

また、もう一つ印象的なエピソードがある。

Yahoo!知恵袋か何かに、「シェアウェアを作ってお金を稼ぎたいのですけど、どうすればいいですか」みたいな頭の悪そうな質問があって、「シェアウェアというのはお金をもらう以上、継続的にメンテナンスをしていかなければならない。時にはユーザーの要求に応じて機能拡張にも応じる必要が生じる。すると一定以上の品質と機能性が求められるのであって、『どうすればいいですか』などと人に聞くくらいの知識でお金が稼げると思わないことです(キリッ)」みたいな回答が乱立していた。

それを見たベンチャーの社長か何かが、自身のブログで「なんでこうやってせっかく新規ビジネスに乗り出そうとしている人の気持を折っちゃうんだろう。本当にこういうことはやめていただきたい」という旨の主張してらっしゃって、はあ、ベンチャー企業とか立ち上げちゃう人の観点ってのはやっぱ違うなあ。とおもった。

よく考えたら、バグだらけでサービス開始するソフト屋とかゲーム屋とかはゴマンとあるのであって、金もらってもそのレベルなんだから、個人で小銭稼ぐのにそんなに難しく考える必要はねーやな。でも、俺も「どうすればいいですか」なんて聞かれたら、うるせー、ちょっとは自分で考えろ、糞ボケナス、超ネコゲルゲ、って馬鹿にしちゃうと思うな。

まあ、先のように、特に金儲けに関しては、クソボケ、超ネコゲルゲ、などと罵倒する人が日本人には多いと思う。けれども、資本主義社会で暮らしている以上、金儲けを浅ましいとか、高尚なものだと考える事自体が、ちょっと間違ってんじゃないかな。そして、そういう思考にとらわれていては金儲けなどできないと思ってきた。だから俺はなんかやる。俺もなんかやって金を稼ぐ。

古谷実著の「ヒミズ」という漫画で、夜野という男が「世の中金だろうがー!金は現代に残された唯一の魔法だ!俺は腐るほど金がほしい!」と叫ぶシーンが有るんだが、俺もだいたい同意する。資本主義経済に生きていれば、金があればまあ大概のものは手に入ってしまうよね。

でも、こう言うと、いやいや、幸せはお金では買えないよ。いやいや、人の心はお金では買えないよ。という人が出てくるだろう。でも、それはちょっとおかしいと思う。「金があると人は幸せになるor不幸になる」という命題を設定することにそもそも違和感がある。なぜならば金は何かを得る手段や目的を達成するための要件であって、目的そのものではないからだ。

人は「銀座で寿司をたらふく食いたい」とか、「世界中を旅行したい」とかいう欲求があって、それが満たされた時に幸せを感じる。金があるだけでは幸せにはならないのであって、金が物質的・精神的な何かへ変換された時に幸せになるのである。また、「家族円満に暮らしさえすればいい」なんて慎ましそうな要求でさえも、それはある程度の金が必要だろう。

また、金があるだけでは不幸にならないのであって、その金を泥棒に取られる、頭おかしい親類から金の無心をされる、などの行為があってこそ不幸になるのである。

これらの事実が指し示すのは、そもそも金がなかったら、金によって引き起こされる不幸を被ることも、幸福も得ることもできないということである。したがって、金を沢山得ても幸せになれないよ。などという指摘は完全に見当違いであると思う。だって金を得ることと幸せか不幸せかは全く別次元の話だから。

まあ、俺は金を沢山稼ぎたいよ。ほんと。金を得るために何かに一生懸命になって、金を得たら散財する。それが健康的な人間の考え方だし、貨幣経済的にも好ましいと思うよ。それでいいんじゃない?