自転車を捨てた

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自転車を捨てた

この自転車は2010年に買ったと思う。スーパーのLIFEで1万1千円くらいで買った。6段変速で安かったら何でも良かった。嫁さんとお揃いで色違い2台買った。

さすが1万1千円であって、もうあらゆるところがすぐに壊れた。バンドブレーキは1ヶ月もしないうちにキーキーなり始める。パンクする。電球が切れる。ライト自体が壊れる。ブレーキが効かない。シフトワイヤー(アウター)がちぎれる、スポークが折れる、などなど。

私はその都度、ブレーキをメタルリンクブレーキに交換し、フロントブレーキのパッドを交換し、パンクしたチューブにパッチをあて、ライトの電球を交換し、最終的にLEDライトにして、シフトワイヤーも交換した。ディレイラーも何度調整したかわからない。タイヤは4本くらい消費しただろうと思う。

嫁さんの方の自転車は、子供が生まれてからすでにパーツ取り車になってしまっている。が、パーツ取り車としての役目も終わりつつあると言ってもいいほど、ほぼすべてのパーツを交換した。

まだまだ整備すれば乗れると思う。けれども、子供ができたことで子供も乗れる電動アシスト付き自転車が必要になったことなどを鑑み、もう破棄することにした。これまでの修理に要した金額は、もう本体価格をゆうに超えていると思う。すでに保守限界である。それに、なんとなく、買った時も2台一緒だったから、引退するときも2台一緒のほうがいいかな、と思う。

私は良い物を買って、直しながらずっと使っていきたいと思うたちだ。小さい頃から壊れた家電かなにかをどうにか直せないか再利用できないかと苦心してきた。壊れたドライヤーを懐中電灯に改造したりなどという変なこともした。冷蔵庫を捨てたり、車を乗り換えたりするときは、古いのを捨てないであげてと親に頼んでいた。ちなみに、4歳頃だとおもう。

物にも心があるとまでは私はさすがに思っていないけれども、その製品を作ったのは人間であり、製品には作り手の何らかの思いが込められているのであって、簡単に何かを捨てるというのはなんだかかわいそうというか、そんな感じがする。

たかが1万円のやすい自転車でもそれは同じだ。改めてパーツを見ると、ほとんどが中国製の安物だけれども、ディレイラーとスプロケットとシフターは一応シマノで揃えてあった。たぶんこれを作った人は、本当は中国製の安物なんて使いたくなかったような気がする。それでも価格で対向するために、こうせざるを得なかったんじゃないかなーって思う。

いつだったか、友達が私の自転車よりもずっと良い、2万円ちょいの自転車を買った。安物とは違って、ちゃんと後輪ブレーキがローラーブレーキだし、ライトは自動点灯で発電機がハブに組み込まれているタイプだった。それでもその友達は「自転車なんてどうせ使い捨てでしょ。パンクしたら捨てるよ」などと笑いながら言っていたのはとても残念だ。

私が自転車を設計・製造するメーカーの技術者だったとして、最終ユーザーがそんなことを言ったらとても悲しいと思う。作り手は使い手を選べない。それは至極当然の事であって、そもそもマスプロダクトに対してそういうことを考えるのは非常識なのかもしれない。それでも私はなるべく大切にメンテしようと思うのである。そしてそれをついに捨てるときは、作った人たちが想定している程度、十分に使うことができただろうかと考える。

まあ、作った人たちも、ポテチ食いながら片手間に作ったのかもしれんけどね。それは現場を見たことないからわからん。