骨付き肉と遺伝子異常/カプセル市場

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骨付き肉と遺伝子異常

その昔、俺がまだ小学生くらいの頃。

家の実家でニワトリ(正確にはチャボ)を飼っていた。私がまだ4歳かそこらのころは、13羽くらい居たと思う。でも小学生になってからは、雄雌合わせて4羽くらいだったかな。残りは覚えてないけど、しめて食ったんだと思う。

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その4羽が卵を産んで、それを親鳥が暖めてひよこが生まれたことが何度かあった。俺が親鳥に近づくと、親鳥は羽を広げて威嚇した。ひよこを守ろうとしていたのである。生物としての本能である。それを見て、親は、子供を守るのが普通なんだな、と、何となく覚えた気がする。

あるとき、またひよこが殻を破って外の世界に出てこようとしていた。計6個くらいの卵があって、5羽は生まれたんだけど、残りの一羽がなかなか出てこない。殻を割り始めてからすでに数時間が経とうとしていた。他のひよこはもう羽が乾き始めている。

私は殻を割ってあげようとした。しかし、それを見た私の父親が、その最後の一羽が入っている卵をゴミ捨て場に放り投げた。

私はショックを受けて、なんでそんなことをするのか問うた。したら、父親曰く、「こういうやつはたまにいる。こういうのは人間が手出しして助けてやっても死ぬんだ」と。それでも、私はゴミ捨て場から卵を拾い上げ、卵を割ってあげた。殻から這い出してきたひよこは懸命に立ち上がろうとしたが、もはや虫の息だった。がんばれ。がんばれ。そう思ったけど、父親の言うとおり、そのひよこはすぐに動かなくなった。

私はこの事例から何かを学んだ。何かを学んだけど、それは言葉にするのはひどく難しい。

たまに、流産を経験した母親が、「子供を死んだのは私のせいだ」などと自分を責める話を耳にするが、そんなことはない。その子供は、あのときのひよこだ。もともと、生きることができなかった生命だ。運が悪かった。それ以上の理由は何もない。

この考えは科学的に言っても正しく、つまり、特に妊娠初期の流産は遺伝子異常がほとんどである。生命の設計図がそもそも間違っているから、初期発生において、生命を形作るための重要なプロセスが抜けてしまっているんだ。そして、生命の設計図が間違ってしまう原因は、ほとんどが偶発的なものだ。年齢や環境ホルモンなんかの要因に対して相関関係はあるけれども、基本的には確率的に記述できる現象である。彼らは確かに神様から生命を授かってはいるけれども、それは、我々が予想した時間よりもずっと短かった。

私はなぜかあのひよこのことを時折思い出す。

今日もそれを思い出すから書いたのである。私は骨が付いた肉を食えない。インドでは、骨が付いた肉が食事で出てくることが多々ある。私はそういう肉を食えない。フライドチキンなんかも食えない。骨付きのステーキとかも嫌だ。

魚も骨がいっぱい付いているやつは嫌で、ずっと食べなかった。子供が生まれてからは、親がそんなんだと子供まで魚嫌いになると嫁さんが言って、私のために骨を取った焼き魚を用意してくれる。そういうのは食えるが、それでも骨のあった痕跡を無意識にたどって嫌な気分になる。他には、牛肉に付いている血管なんかも嫌い。

なぜか。それはうまく言えないけど、前述のようなことが関連している。骨とか血管とかは、それが、目の前にある食事が、生命だったことを想像させる。そんなことを言ったら肉自体、生命であった痕跡なのだけど、そこら辺を明確に分離できないところが人間の脳みそのファジー制御の肝である。

焼き魚を見ると、昔買っていた熱帯魚を思い出す。手羽先やフライドチキンを見ると、あのチャボを思い出す。そうすると、生き物であった感覚が、生命であった感覚が、口の中に、頭の中に、いっぱいに広がるようですごく居心地が悪い。気持ち悪い。

人間は雑食な生き物であるので、肉も食うし植物も食う。でもたまに、ベジタリアンとか言う人もいて、インドの北部に多いシーク教の人なんかは、根菜も食べないと聞いた。根菜を抜くときに地中の生物が死ぬかもしれないからだそうだ。だったら、普通に道歩いててもアリ踏みつぶしてるかも知れんがな、と俺は思うのだけど、そこら辺はどう思ってるのだろう。

私はベジタリアンというほどまで行かない。肉も好きである。焼き肉とか、骨が付いてないやつであれば。でも、肉好きの中でもベジタリアンに近い方なのかも知れない、とは思う。

これについてはいろいろな意見があるだろう。日本人が頂きます、と手を合わせるのは自分の血肉となる代わりに犠牲となった生物に対して感謝と経緯を表すためであって、それを、骨付き肉は嫌、とかわがまま言うのは冒涜である。という人もいるだろう。たぶん。俺自身そう思う。けど、嫌なもんは嫌なんだ。俺は骨付き肉が嫌だ。

骨付き肉を見ると、あのひよこを思い出す。骨が細くて、か細かった生き物を。私達は生き物を食べて生きているのだけれども、現代社会においてそれを自覚するのは思っている以上に難しく、また、この気持ちは伝えにくいものである。

キチガイのカプセル市場

THE MAD CAPSULE MARKETSというバンドが好きだ。もうとっくに解散した古いバンドだ。

これの名前の意味はどういうことなんだろう?と考えていた。「キチガイカプセルを売ってる店」みたいな感じだろうと思う。これは90年代インディーズバンドに共通することであるが、だいたい、みんな英語力が弱いくせに無理して英語を使いたがるという性癖みたいなもんがある。それを加味して類推し、意訳した結果がこれだ。

ちなみに最初はTHE MAD CAPSULE MARKET'Sという名前だった。アポストロフィーが取れたのは姓名判断で良い結果が出なかったからとか聞いたことがある。MARKET'SとMARKETSだとずいぶん意味が変わってくると思うが、まあ、逆に言えばそこまで意味は無いんだろう。

もっと言えば、MARKETという単語にも違和感を覚える。MARKETは市場、という意味が主で、一つの店という意味は薄いと思う(たぶん大きめの食料品店でしか通用しないと思う)んだけど、彼らが市場という意味を採用したかったとはとても思えないからだ。たぶん、店という意味を付けたかった気がする。だって、「ちょっとやばいドラッグを扱う市場」というのはなんか変だろう。市場という言葉から連想される、物流や需要、供給みたいな意味とアンダーグラウンドな世界はとても結びつかない。

だから、もっと正確に言うとすれば、「THE MAD CAPSULE STORE」ということになるのだけど、STOREよりはMARKETの方が字面がかっこいいと思う。そのくらいの理由で選んだんじゃないかな。

もっと突っ込みどころを挙げるとすれば、そもそもMAD CAPSULEってのもおかしいよな。MAD CAPSULEじゃ、気の狂ったカプセルという意味に取れると思う。すると、気の狂ったカプセル市場ということになって、ますます意味が分からない。気の狂ったカプセルが運営してる市場なのか、気の狂ったカプセルを扱う競り市みたいなもんなのか、なんかどう解釈してもおかしい。

じゃあ厳密に正しい言い回しは何なのか、ってなると、俺にもよく分からん。たぶんネイティブな人達に聞いたら、そういうのに適したスラングを出してくれると思うんだけどね。ちなみに、小説のTrainspottingではShooting Galleryという言葉が出てくる。クスリをやってるジャンキーどもが集まってくる場所のことだ。これになんか近い気がするけど、でも、THE MAD CAPSULE MARKETSの歌詞とか曲調から察するに、彼らは別にジャンキーを自負してる訳でも無いような気がするので、Shooting Galleryもちょっと違う気がする。

じゃあ何が良いんだって話になるのだけど、まあ、そういうのを含めて THE MAD CAPSULE MARKETSなので、それはそれで良いと思う。なんせ、Yourself Look!!とか言う歌詞を書く人たちだからな。Yourself Lookで自分を省みろという意味だそうです。

勘違いしないでほしいんだけど、私はMAD好きですよ。でも日本語の歌詞のほうが好きというのはあります。

名前が好きなバンドを挙げると、例えば、「Cubismo Graphico」とか、「POLYSICS」とか、「ロリータ18号」とかは良いと思います。バンドの名前じゃなくてアルバムの名前だけど、Capsuleの「L.D.K Lounge Designers Killer」とかも良いと思う。