石臼ヒキます

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リバースカルチャーショックという言葉がある。

長い間母国から離れていて、久しぶりに帰ってくると、そこでまた文化の違いに驚くという現象。人間は、生物は、柔軟性を持っている。野良猫と飼い猫を見ればわかるだろう。同じ種であっても別物だ。野良猫は身のこなしが違う。都会で食い物が溢れてる環境だとそうでもないかもしれんけどね。

2年間日本に居たインド人から聞いたリバースカルチャーショックは「インドは汚い。交通マナーが悪すぎる。うるさい」だったらしい。まさに日本人が抱く第一印象と等しい。この人は2年間で文化的には日本人に近くなったのである。これが人間の柔軟性。先の日記で述べたように、人間という事象は動的な平衡状態である。波のようにゆらいで移りゆく現象。それが人間だ。生物だ。

私もインドに居てだんだんに変わってきていている。インド人のいいところは日本人ほどシステマティックでない所だ。多少おかしいところがあっても誰も何も文句言わない。日本企業は常にゼロリスクを求める。問題があればケーススタディをやって、新たなルールを作る。ルールがありすぎてその全体像なぞ誰も把握しては居ない。意味がない。意味がないのにやるのは、また問題が起こった時に「ルールを守らなかった個々人の問題」という帰結にしやすいからだ。まあ別にそれは今はどうでもいい。

私が今日本に帰って会社に行ったら何もかも嫌になると思う。

なぜ日本人は適当に生きれないのだろう。いや、なぜ、俺は適当に生きれないのだろう。体が勝手に最適な選択肢を選んでしまう。洗濯機を選べ。住宅ローンを選べ。健康食を選べ。友達を選べ。それは今考えると高校まで遡る。高校3年生の春、私は工学部に入学することを決意した。決意したときは三角関数すら分からんかった。それでも大学に入らないと俺は俺でなくなると思った。俺の得意分野はコンピュータであって、それを活かすことの無い人生など考えられなかった。しかしそれに気づいた時には時すでにお寿司。イクラが好きだった。

その頃からだ。人間を利用してやろうと思ったのは。俺がどうしても大学に行きたいです!って言えば、先生も、おお、やっとこういう生徒が出てきたか。って特別な環境を用意してくれた。うちの高校はそういう感じのレベルだった。俺はその環境に存分に甘え、受験勉強を盾にあらゆる面倒くさいこと、たとえば、学校祭で使う看板を制作するなど、を、後輩に全部放り投げた。

そういやあの時、私は生徒会執行部に入っていたんだが、書記次長という役職だった。北朝鮮第二位みたいな役職だろう?あのときは生徒会執行部に後輩の女の子が3人いて、その内の一人が凶悪なワキガであった。でも誰が犯人かは未だにわからない。同級生の女の子が「Y子は違うよ!部活一緒だけど臭くないよ!」とか擁護してたので、Y子じゃない二人のどっちかなんだろう。

で、その生徒会執行部に居たときは私はホクホクであった。つまり、面倒なことがあれば、俺、頑張って国公立大を目指すんだ…みたいな遠い目をして全部誰かに押し付ける。すると後輩の女の子がすごいですねー。とか言ってくるので私はまたホクホク。まあ本当にすごいですねー。と思ってたかどうかは知らんけどね。

そんでたまに顔を出して、たとえば石臼でそば粉を挽く、などの作業がまあ、いろいろな経緯があってあったんだけど、ただ単純に石臼を引いてみたいから「俺、石臼挽きます!」とかいうと、先生が「本当に?忙しいのに?大丈夫なの?ごめんねー」なんて本当に申し訳なさそうな顔をする。するとまた後輩の女の子がやってきて、「先輩、ごめんなさい、私達がやるべきなんだと思うんですけど…」とか言ってくるので、「大丈夫大丈夫!俺が単純にやりたいだけだから!」とか言って、まあ、本当にそうなんだけど。で、いつもキーボードかペンしか触ってない手だから、あっという間にマメができて破ける、それを見た女の子がまたやってきて保健室に連れて行かれる。大丈夫だよー、大げさだなー。みたいなことを言って。で、その時の保健の先生が若くてマジで美人で、俺はドキドキした。誰がどう見ても完璧に美人だった。俺は集会で貧血で倒れるとか、日射病で倒れるとかして看病してもらいたかったけど、健康優良児だった私だったため、保健室に行く機会はこれを含めても数回しかなかったように思う。そういう感じで受験勉強を頑張りつつ学校行事も進んでやる素敵な俺、を演じ、悦に浸っていた。

そういうバチがあたったので、大学二年生の時に留年して死にそうになった話は昨日した。

私はこのように、酒を飲むと昔の話を延々とし始める悪い性癖がある。酒を飲むと昔の記憶がありありと蘇ってくるのはなぜだろう。

こういう話を聞いたことがある。酒を飲んでる時の記憶や人格というのは、酒を飲んでいる時にだけ形作られる特殊な人格であると。だから嫌なことがあった時に酒を飲んでいると泣き上戸になる。嬉しいことが合った時に酒を飲んでいると笑い上戸になる。そういうふうに聞いたことがあって、俺は結構その理論を信じている。

もう時効なので言うけど、俺、高校の時は普通にビールを結構飲んでいた。つうか、みんなどうせ飲むんだろ?高校生の肝臓なのでビールの中瓶があればそれで十分だった。友達の家でビールを飲む。マリオカート64をやる。負けた奴が女の子に告白する。短パンで山に登る、などといった感じのむちゃくちゃなことをやっていた。

その時に飲んでいた友達は結構酒癖が悪くて、酒を飲むといつもマジギレしていた。コントローラーを本気で投げてきたり、鉄アレイで殴ってきたり、SM用の低温ロウソクじゃない、マジもんの仏壇用のロウソクを垂らしてくる、などの破天荒ぶりを発揮していたので俺はもう時々すごく困った。今は大人になってそんなことはなくなったけどね。あの友だちは嫌なことがあったから酒を飲んでいたのだろうか。今はもうそんなことがなくなったという事は、楽しい時に酒を飲んでいるのだろうか。それならばよかったと思う。

大学の時の別の友達は、酒を飲むと部活の先輩の話をし始めて、俺みたいなやつに、うう、俺みたいな奴に、先輩は、良くしてくれるんだ…と泣き出すような人だった。うわあ、何泣いてるんだろう。と俺は正直引いた。その友達はどういうときに酒を飲んでいたのだろう。

まあ、引いたけど、少なくともその人は私よりも人格者と言えるかもしれない。私は周囲を利用して自分の理想像を作り上げて、自分を演じて、よく見せようとする節がある。非常に浅ましい考えだと思う。私が生涯どんな人に出会ったとしても、あの人はいい人だ…なんて泣くことはないと思う。はっきりと言える。

しかしながら最近は年をとったせいか涙もろくなってきたところもあって、もしかしたらそういうことで泣くかもしれない。例えば娘の結婚式とかは泣くかもしれない。いつだよ。娘に結婚式って。2040年ちょい前だろうな。2040年って、もうSFの世界だよ。もう想像もつかない。

私はまた酒を飲んで寝る。酒を飲んで寝たらまたバイクに乗っている夢を見るだろう。なんだっていい。俺はクズなりに生きているのだ。