車とバイクの夢

CLUD

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インドで見た夢。

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バイクに乗る夢

夢のなかで俺はバイクに乗っている。原付2種だ。スクーターだ。すごい楽しい。

これも何度も書いたことだが、俺はずっと昔から、子供の頃から、バイクに乗りたかった。バイクに乗るのが夢だった。なので、未だに原付を所有ことしかない。普通自動二輪免許を取っても、バイクを買うことはなかった。買う機会がなかった。

就職してからは、あれよこれよという間に、結婚し、新車を買い、子供ができ、家を買った。バイクを買う暇も金もなかった。いや、こんなことは何度も何度も反芻してきたことだ。買う気になればバイクだって買えるさ。空も飛べるはず。

夢のなかで散々にバイクに乗った。実家の周囲をぐるぐる回っていた。夕焼けだった。なぜか、バイクに乗った夢を見るときは実家周辺が多い。夕焼けで埃っぽい。季節は夏だろうか。でも涼しい。秋かもしれない。しばらくスクーターに乗ったあと、家にネイキッドがあるのを思い出した。これも原付2種だが、それでもスクーターよりは面白いだろうと思ってそれに乗ろうと家に帰ったところで、そこから、記憶が無い。

車に乗る夢(冬のアパート)

場面は、冬の夜。大学生の頃住んでいたアパートの前で、かじかむ手をこすりながら車の中で、ずっと誰かを待っている。このアパートも不思議で、住んでいるときは全然このアパートの夢を見なかったが、なぜか結婚してからしょっちゅうこのアパートの夢を見る。

私はこのアパートにはなんの感慨もない。なんら懐かしい気持ちが無い。大学院も含めて計6年住んだ。彼女(今の嫁さん)が1ヶ月に近い単位で泊まってたこともある。このアパートを出るとき、うちの嫁さんはとてもさみしいと言っていたが、私は全然さみしくなかった。

今考えると、本当にこのアパートでたくさんのことを経験した。初めて乗った車をこの駐車場に止めた。友達がよく遊びに来ていた。友達がよく女の子を連れ込んでいた。俺はよく酔っ払っていた。酎ハイの缶を山積みにして、タバコの空き箱を並べていた。タバコと酒しかなかった。押入れの中に友達がよく寝ていた。トイレの前で友達の友達が女の子といかがわしいことをしていた。友達がカーセックスしてるのをこの部屋で待っていた。

これは初めて書くことだが、私は大学2年生のときに留年の危機に瀕し、留年したらマジで自殺しようと思っていた。なぜか。金を出してくれる親と育英会に申し訳が立たなかったからである。だから、死ぬ気で勉強した。あんなに勉強したのは人生で初めてだった。ウンコと風呂以外常に勉強していた。飯を食う時間ももったいないのでチョコを買い込んでそればっかり食っていたから、一時期体重がずっと増えた。ノートを買う金がもったいないので、コピー用紙の裏にずっと数式を書いていた。A4用紙数百枚単位で消費した。

結局、留年しなかったので私は生きてるんだけど、当時は本気だった。そういや、彼女に振られてJINROを飲みまくってゲロを吐きまくったこともあった。だから、あの時から俺は韓国焼酎を絶対に買わないようにしようと思ったんだな。別に韓国焼酎が悪いわけじゃないけど。

それなのに、なのに。なぜ私には寂しいという感情が沸き上がってこないのだろう。わからない。

でも夢のなかのそのアパートはとても綺麗で、冬の満月に照らされて青く光っていて、夢のなかにカメラを持っていけるのであれば写真に撮りたかった。でもそういうことはできないので、どうするかというと、俺は絵に書いたりする。実は今回、インドに行くのもペンタブレットを持って行こうかどうか本気で悩んだ後、飛行機の重量制限に引っかかるので諦めた経緯がある。

持ってくればよかった。あのアパートは本当に綺麗だった。でも、あの青さをうまく表現するのは難しいだろう。

車に乗る夢(夏の夕方から夜)

こんどは夏の夜。長距離運転する前だ。

これも舞台は大学のころのアパート。アパートからどこかに長距離運転しなければならないことになっている。車に乗るのは若干不安だった。それは、初めて乗ったシルビアS13が本当にボロい車で、いつ故障してもおかしくないような代物だったから。このときの印象がとても強く、夢で車に乗るときは絶対にボロい車だ。

でも、あの期待感は言葉にしがたい。俺はこれから車に乗って遠くに行く。ずっと遠くに。

実際、よく学生時代は車であちこちに行った。金曜日、学校が終わったらすぐにアパートを出て、秋田から宮城に走った。日本海から太平洋まで走っていった。距離にすると200kmちょっとくらいだろうか?

いまは、プリウスで夜の3時に東京を出て秋田までノンストップで走る、なんてことをやったりしてるんだろうけど、なんだろう。あの時のほうが大変で、冒険的だったように思える。

夢のなかでのそれは、夏の夕方だった。夕方から徐々に、赤から青にスペクトルが変わっていって、いずれ夜になる。夜になったら私はライトをつける。CDチェンジャーの3枚目が俺のお気に入りだった。エアコンはガスが抜けてるので効かない。暑いから窓を全開にして走る。タバコに火をつける。タバコを吸う。手に取るように思い出せる。SILVIAとか書かれた、自己主張の激しい純正ハンドルを握り、右側のエアコンの吹き出し口に灰皿を取り付けてある。イエローハットで一番安かった灰皿だけど、大切に最後まで使った。

左側には10枚CDチェンジャーのオーディオデッキがついていて、上がオーディオユニット、下がスペクトラムアナライザ兼グラフィックイコライザーだった。あのセンスは冷戦期の戦闘機コクピットに通ずるものがあって、非常にアナログ的で美しい。それが夕焼けを浴びて、宮城まで。宮城につく頃はもう夜だろう。そしたら友達の家で酒を飲み。ビールを買い。タバコを吸い。眠ったら明日になる。そういう毎日が続いていた。学生時代は。

妹の夢

二人目の子供が生まれた夢だった。

最初の場面は生まれた直後くらい。まだ乳飲み子だった。ようやく寝返りができるくらいだろうか。女の子だった。

その次の場面では、その子どもが1歳半くらいになっていた。それを姉、つまり、第一子が見つめていた。何かを妹に教えていた。おもちゃの遊び方か、飯の食い方か。そんな感じだった。

いつかはそういう日が来るかもしれないけど、いまはまだ想像もできない。

モールの夢

夢のなかで俺はインドのショッピングモールに居た。

これは俺が勝手に決めてることだけど、夢の中で今住んでるところが登場すれば、それは、自分が今の住処を自分の居場所と認めた証である、というふうに思っている。だから、インドをとりあえずの自分の住処と認めた、と言える。

前述の通り、大学生のときに住んでいたアパートではそんな夢は見なかった。不思議だ。やっぱり、何度考えても不思議だ。

なんか、今日は夢日記を書いたつもりだったけど、昔話ですね。これ。