Trainspotting 原作を読了

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原作のTrainspottingを読んだ。今日はインド滞在記はちょっと置いといて、Trainspottingについて書いてみたい。

映画版のTrainspottingは96年に制作された。原作はアーヴィン・ウェルシュ作の同名の小説である。アメリカ、欧州、日本などでヒットした。映画の主人公役は当時まだ無名だったユアン・マクレガーで、彼の出世作となった。

内容はヘロイン中毒と仲間が織りなすハートフルストーリーである。超大雑把にいうと。

私は映画を見たあとその原作を読むという行為が結構好きで、そうすることで、映画監督や脚本家がその本をどう読み、どう表現し、どう制限された時間内に落としこむか、というところを見つけ出して、共感を得ることができる。これがとても興味深くて面白い。

Trainspottingは間違いなく名作である。その良さはDVDを借りて見ればすぐわかるので、ここで書く必要もない。したがって、今回の日記では私が気づいた興味深い差異(映画と小説の間の)、そして共通点を記述していこうとおもう。

レントンは細い

小説版の中で、レントンはかなり細い痩せた男として描かれている。その理由として、「肉を食わないからだ」と周囲の仲間は口々に語っている。「ベジタリアンめ」と小馬鹿にされると、レントンは常々「俺が肉を食わないのは嫌いだから食わないのであってベジタリアンじゃない」と言っている。たしか朝食のベーコンを避けて食べていたような描写もあったとおもう。

レントン役としてユアン・マクレガーはぴったりの配役だったように思う。というか、映画版は皆配役が素晴らしいと思う。

ドーンの父親

私は映画を何度も見た。最も見た回数の多い映画がTrainspottingかもしれない。いや、もしかしたらとなりのトトロかもしれないけど。でも、それでも何度見返してもよくわからないのが、ドーンの父親が誰かってことなんだ。

小説版を見たらその答えが得られるかと思っていたけど、やっぱりよくわからなかった。スパッドは「おそらくシック・ボーイだ」と言っているが、それを確定する情報は何もない。映画版では「アリソン(母親)自身、わかっているかどうか」と言っていたが、小説版も概ねそんなかんじだ。

ただ、大きく違っているのは、小説版ではドーンの母親はアリソンではなくて、レスリーだ。レスリーは映画には出てこない。この設定をなぜ変更したのかはよくわからない。映画の中でのアリソンの役割というのは、冒頭で「ヘロインは1000回のオーガズムよりも気持ちい」という一言を残すのと、ドーンが死んだ時に泣き叫ぶのと、2つくらいの役割しかない。ちなみに、小説版で上記のようなセリフを残したのはアリソンだ。より正確に言えば、「どんなコックよりも良い」みたいな言い方をしていたと思う。

ドーンの死

映画では、ドーンの死をみんなが悼み、暗い雰囲気が漂っていたが、小説版では必ずしもそうでなかった。最初はドーンの死を悼んでいたが、父親が誰か、という話から話がこじれてきて、最後にはちゃんと面倒を見なかったレスリーが悪い、みたいな話まで出ていた。泣きわめくレスリーに対してスパッドが「だれか一緒に居てあげたほうが」みたいなことを言うんだけど、それに同調する仲間はなかなか出て来なかった。

映画版の描写のほうが、ドーンの死に対してよりショックを受けるような感じになっているが、小説版のほうは、人間の正直な心情が生々しく描かれていて、より人間的でリアルと言える。

映画のほうでドーンが死ぬシーンというのは、物語の重要なキーポイントとなっているところがあって、だから人間の心情を描写すると言うよりは、ショッキングな感じを全面に押し出すほうがまとまりが良かったのではないだろうか?ちなみに、小説でドーンが死ぬのは冒頭の方である。

修道院長について

映画での修道院長はかなり紳士的で、仕事に徹しているような描写をしている。でも小説版の修道院長はもっとだらしない姿をさらけ出している。注射を打つ静脈がなくなり、足の動脈に打って壊疽が広がって片足を失ったり、傷痍軍人のふりをして金を恵んでもらったりしている。時にはシック・ボーイやレントンを「仲間なら信頼できるだろ、同じ注射器で打て」と脅したりする。(当時、HIVが流行していた)

この辺の描写は単純に枠に収まらないので省いたのだろう。

ビリーと弟について

小説を見て驚いたのが、レントンにはビリーという兄と、名前は忘れてしまったが弟がいる。弟は障害者で、それもかなり重い障害だったようだ。おそらく重度の知的障害で、ほとんど人間的なコミュニケーションは取れなかったようだ。それが理由でレントンと兄のビリーは幼少時代、友だちから馬鹿にされる。

レントンはビリーを恨んでいる。幼少の頃こっぴどくいじめられたのが原因のようだ。ビリーは、一応まともに結婚して子供までもうけたが、軍隊に入って殉職する。

ビリーに関するエピソードはたくさんあるが、映画ではそれらがすべて抜けさって居る。これも、ビリーのエピソードを追加するともう話が広がって切りがないので落としたのだろう。もったいないと思うが、他に選択肢があるかというと、無いと思う。

Trainspottingについて

Trainspottingとは、鉄道オタクのことである。なぜこのような名前がついているかというと、鉄道オタク、転じて、ヘロイン中毒という意味があるらしい。作中でTrainspottingという言葉が使われるシーンはおそらく一つしかない。

深夜の駅でベグビーとレントンが小便をしていると、泥酔したオッサンが近寄ってきて、「何だお前ら。Trainspottingか?」と声をかける。それに対してベグビーが「そうだよ」と言い、そのあとで「クソ親父が」とつぶやく。レントンはそれを聞いて、さっきのオッサンがベグビーの父親だったことを思い出す。

このシーンがなんとなく、俺は好きだな。

ベロベロに酔っ払って駅をぶらぶらと歩き、始発をまったりタクシーを捕まえようとあがいたり、そんなことはもうかなた昔のことのように思える。俺もオッサンになったもんだ。

ダイアンについて

映画ではダイアンがちょくちょく出てくる。ちょくちょくと言っても、最初登場するシーン、2回目に会うシーン、手紙をよこすシーンしかないが。ちなみに、二回目に出てくるシーンが俺は結構好きだ。「レントン、何か新しいことをはじめなきゃ」と言うシーン。あのセリフが好きだ。

小説版では最初に会ってからダイアンの両親に「あんたらはルームメイト?」とたずねるあたりのエピソードのみが描かれ、2回目に会うシーンや手紙をよこすシーンなどは無い。

ベグビーについて

小説に出てくるベグビーは結婚して子供までできている。やんちゃっぷりは変わらずひどい。

スパッドについて

Trainspottingの登場人物の中で一番好きなキャラクターがスパッドだ。

映画でも小説でも、スパッドが幸せになるシーンは殆ど無い。映画では最後にロッカーから札束を取り出すシーンで締めくくられ、ハッピーエンドとなるが、小説ではそれすらない。個人的にはスパッドが気に入っているという事もあり、映画版の結末のほうが好きだ。

ちなみに、Trainspottingは舞台化もされていて、そっちでのレントン役は、映画でのスパッド役であるユエン・ブレナーが演じている。ユエン・ブレナーがレントンを演じるのはかなりミスマッチな気がするけど、それも見てみたかった。

マイキーについて

映画ではヤクの売人であるマイキーが2回登場する。最初に出てくるのはレントンにアヘンの座薬を売るシーン、二回目に出てくるのはロシア人から大量のヘロインを仕入れるシーンだ。どちらをあわせても1分に満たないだろう。

小説の最後のページにある、作者であるアーヴィン・ウェルシュの写真を見ると、なんか見たことあるな。という気がしていたが、それもそのはず、アーヴィン・ウェルシュはマイキー役として映画に登場している。

以上、こんな感じかな。小説はそれなりにボリュームがあって、(文庫で500ページくらい)もう一度見返してみたほうが良さそうだ。