インド滞在記(7)遺跡見学と乞食

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今回はちょっとした遺跡見学。

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最初の写真は典型的なインドの交通風景です。車線はありません。車もしくはバイクが通れるスペースがあれば、そこが車線になります。こういうところでクラクションが0.5秒以上鳴り止むことはありません。これでもマシな方で、大都市になるともっとひどい。逆走、夜間無灯火、ノーヘル、なんでもアリである。

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これはなんだったかなあ。何とかっていう城跡らしい。イギリス人が危険だってんで壊したので城跡なんだとか。入り口にトゲトゲがついているのは、象による突破攻撃を防ぐためらしい。象を兵器として使ってたのってペルシアだけじゃないんだな。まあ、よく考えてみたら他の国もバンバン使ってそうだな。俺、世界史大嫌いだったんだよね。日本史も嫌いだけど。ペルシアがインド象を軍事的に使ってたのを知ってるのは、Age of Empireというゲームにはまってて、それで知っただけなんだよね。

まあ、象も考えてみたらかわいそうだよな。トゲトゲに突進しろとか言われても、そんなもん、人間の都合なのであって、象には関係ないもんな。俺が像だったら拒否する。拒否して草を食う。もちろん数多の象もそうしたはずであり、だから、人間にとっちゃたまったもんじゃない。今まさに敵の城壁を突破せんとせしめている最中に自分の乗ってる象が草を食い始めたらたまったもんじゃない。コラー、突進しろっちゅうねん、みたいな感じでまごついている最中に、弓とかで狙われて、グサッと弓矢が脳天に突き刺さりでもした日には、死ぬに死ねない。

だから人間様も馬鹿ではないのであって、たぶん、象使いはトゲトゲがついたムチとかを持っているはずだ。それを使い、こら、お前、行かんとムチがおまえの尻を叩くぜ。ムチが。って脅すに違いないのである。そうすると、象にとっては突進してデカイトゲトゲに少数回ぶちあたるか、小さいトゲトゲのムチを延々受け続けるかの二者択一となる。したがって、どちらをチョイスするのが得かを勘定しなければならないのだろうけど、これはいろいろな意見はあるだろう。何故ならばトゲトゲの苦痛というのは数値化できないからである。数値化できないという事は、その価値の見積りも難しい。ましてや、象のオツムでそれが叶うわけもない。

でもまあ俺だったら無視してムチを耐えるな。だって突進したら死ぬかもしれんもん。城門の前なんか特に守りが堅いはずで、行ったらトゲトゲに刺さるくらいじゃ済まされない。でもそれもベストな選択肢ではなく、たとえば、戦のたびに命令を無視して草を食っている象がいたらどう思うだろうか?こんな役立たずで糧秣ばかり消費する象は殺してしまえってことにならないだろうか?たぶんなるだろう。そう考えると、全く突進しないのもまずいわけで、そうだな、例えば3回に1回くらいは突進したほうがいいのかもしれない。でも象使いの塩梅によっては、5回に1回くらいでも許されるやもしれん。でもそのあたりの駆け引きというのはこう、命がかかるわけで、結構深刻な問題であるよなあ。

そう考えると軍用象の生活も決して楽なもんでもなく、まあ、みんな大変なんだなあ。おつかれ。おつかれ。みたいな感じ。入社した頃、「どこまでやったら怒られるか、ギリギリを試してみるぜ。今日は鋲付きのパンク靴を履いてきた」とかいう人がいて、あほだなあ、でも、好感のモテるアホだなあ、などと平和なことを思っていたことがあるが、そういうレベルではない。象は。

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これが城壁の中なんだなあ。特筆すべきこともなく、ただの城跡なんだなあ。

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城壁には、こういう感じで随所に穴が開いている。これは城壁の外を弓や鉄砲で狙い撃つための穴だそうです。嫌だなあ。俺だったら絶対こんなところを攻めたくないわ。

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全景。まあ特に普通の城跡ですね。

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これはガネーシャのお寺だな。ガネーシャってのは頭が象になってる神様である。なぜ頭が象なのかをインド人が教えてくれた。

ガネーシャはパールヴァティーの子供である。パールヴァティーが一人で作った子供である。どうやって作ったかは知らん。で、パールヴァティーが出かけるときに、誰にも家に入れちゃだめよ、ってガネーシャに言って出かけた。ほんで、パールヴァティーの夫であるシヴァが家に帰ってきたら、よくわからん子供(ガネーシャ)が家の前に立っていて、家の中に入れようとしない。何してくれてんねん。ここは俺の家だっつうの、と、怒ったシヴァ、ガネーシャの首を切り落とした。

帰ったパールヴァティー曰く、お前なにしてくれてんねん、この子はあたしらの子供なんやで。みたいな感じで怒り狂った。それを聞いたシヴァ、わわっ、マジでソーリー、切り落とした首を探してきます。と言い、パールヴァティー、見つけるまで帰ってくんなや、みたいな感じで。

で、いろんなところを長い間探しまわって旅をした。そんなに首が遠くに飛ぶかあ?って気がするけど、まあ、川に入って流れて行ったりしたんだろう。で、結局見つからなくて、しょうがないから俺がこないだ切り落としたこの象の首、これでいいやん。これ付けとったらいいじゃん。ってノリで象の首を持って帰った。

それを見たパールヴァティー、曰く、お前、それ象じゃん。私はガネーシャの首を探せっつってんのに、お前の目は節穴か?象の首やんけ、と。で、シヴァ曰く、まー、まー、ガネーシャの体はお前由来じゃん?で、首は俺由来じゃん?で、これでようやく二人の子供になったわけじゃん。これってトリビアになりませんか?と言ったかどうかは分からんけど、それを聞いたパールヴァティーはいたく感動し、ううん、いいの。もう。この子はあたしたちの子供だよ。アタイ、一生あんたについていく。と言ったかどうかは分からんけど、まあ、これで一見落着。首の上が象のガネーシャとなった。

ガネーシャの肖像や象は結構よく見るが、あるガネーシャは虎に乗っていたり、あるガネーシャは手が千手観音みたいにいっぱいあるし、そうでないのもある。これらはなんか理由があるの?と聞くと、「あー、それはアーティストのイマジネーションだね」らしい。イマジネーションすか…。

この寺院、なんか衛生状態がすげー悪かった。雨だったんだが、靴を預けて裸足で歩かなくてはならず、靴を預ける箇所から寺院まで20mくらいあり、そこは雨で濡れたタイルで、しかも鳥の糞が随所に落ちている。ひいいっ、汚い、汚らわしい。俺はつま先で歩いた。が、みんな普通に気にせず歩いていた。女の子ですら普通にぺたぺた裸足で歩いていた。普通に鳥の糞とかを踏んでいた。まじかよ。俺だけか?

ここに至る道もまたまあ、臭いことこの上なくて、池があるんだがその水が淀んでいて、ドブ川みたいな臭がする。インド人は気にならないんだろうか?

あと、ここらへんは乞食が多く、大型犬よりも一回り小さいくらいのばあちゃんが顔を下に向けて手を差し出したりしていた。あとは、交差点で止まるたび、赤ん坊を抱いた母親が、ユニセフの広告みたいな顔をして、金くれ、と手を差し出してきた。子供がいる私にとって、これはなかなか心に来るものがあった。

東京にはホームレスはいっぱいいる。そこら中にいる。でも俺、東京で乞食は見たことない。唯一乞食に一番近いのは、秋葉原で「戦争で片足を失いました」みたいな時代錯誤もいいとこな看板を掲げてる乞食を見たくらいである。でもインドにはマジな乞食がいっぱいいる。

あの赤ん坊を抱いた母親に俺は金を恵んでやるべきだっただろうか?その時、私は拒否した。なぜか。半分脊髄反射的なもんだった。金をくれと擦り寄ってくる奴にろくな奴は居ない。その程度の脊髄反射的な理由である。

しかしながら、まあ、改めてよく考えてみても、金を恵んでやるべきではなかったと思う。

なぜか。理由はいくつかあるが、金を渡したところで何の解決にもならないというのがある。

そもそも私は金を「恵んでやる」というほど徳の高い人物ではないし、まあ、それを差し置いて恵んだとして、奴らは少量の食事を得るだけで、結局貧困からは抜け出せないからである。これは何ら建設的でない行いである。偽善と言ってもいいと思う。

本当に彼らを助けたければ、彼らに与えなくてはならないのは数百ルピーのはした金ではなくして、教育とインフラである。

例えば私は発電所を作る仕事に携わっているわけだが、インドのプロジェクトとかに関わる機会があったら、その時に貢献できるかもしれない。そうして間接的にインドのために働くことが、あの親子のためになるのであって、それは甚だ微力なものではあるが、数百ルピーよりは少なくとも価値があると思うな。俺は。

でもまあ、本当にそう思うよ。