アルビン・トフラーからYoutube、そして「デマ」

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上記は私がおそらく大学3年生くらいのときに描いた、しょうもない絵である。

私がジブリアニメの中で一番好きなのは、間違い無く紅の豚である。紅の豚にはロマンがある。メカ、飛行機、銃器、美しいヒロイン。男が好むエッセンスの全てが封入されている。同じように頭文字Dという漫画もそれなりに好きで、この二つを合体させたら面白いんでないかな、と思った。で、描いた。

その他にも、このころ電車でDという同人誌が流行っていて、これがまた面白い。電車でGO!と頭文字Dを合体させたパロディで、線路を二本つかって電車をドリフトさせたりする無茶苦茶な漫画である。電車に対するマニアックな知識と原作に忠実な絵柄が多くの人々の心をつかみ、その当時、ネットでは大いにネタになっていたと思う。

上記の絵はそういう背景に私が大いに影響され、描いた絵である。

以前にもここに描いたが、「シェイクスピア以降の全ての創作物は、それ以前の二番煎じ」という旨を述べた有名な言葉がある。誰が言ったのか忘れてしまったし、検索しても出てこないのでもしかしたら間違って覚えているかも知れない・・・。でも、私はこの言葉がすごく好き。まったくその通りだと思うので。

話は変わるが、アルビン・トフラーという有名な未来学者が居る。情報化時代の到来を予言した著書「第三の波」が有名だ。「第三の波」が出版されたのは1980年のこと。それからもう30年経っている。

トフラーはまた、著書「第三の波」のなかで生産消費者の登場も予測している。生産消費者とは、従来企業がやっていた仕事を無給でする消費者のこと。たとえば、ATMやセルフレジがこれに当たる。トフラーは著書「富の未来」の上で、お好み焼き屋チェーンの道とん堀が生産消費者のシステムとして最も巧みな例かもしれない、と述べている。トフラーのような人物が道とん堀を知っているとは、意外だ。

情報化時代が到来して、生産消費者はいろいろなものを生み出した。オープンソースソフトウェアの世界はその成功例と言って良いだろう。企業に属さない集団が作ったソフトウェアが搭載された携帯電話が世界中で使われるなど、80年代に予測できただろうか?

生産消費者は情報化社会と良くマッチする。SNSやブログ、動画投稿サイトも生産消費者が活躍する良い例だろう。

私が初めて自分のHPを作ったのは高校1年生、2000年の時だった。そのとき、私は常々次のようなことを知人に喋っていた。

「ホームページは全世界の人に情報を発信する、テレビの一チャンネルのようなものだ。誰でもチャンネルを作れるというのは、これは素晴らしいことで、もうしばらくすると誰もテレビなんか見なくなるだろう」と。

この頃、私は少しだけ、漫画家になりたいと思っていた。しかしながら漫画家を目指すのはリスクが大きすぎるのは重々承知していた。従って、自身のホームページ上で創作活動を続けつつ、ソフトウェア開発者を目指して勉強を続けるという方針をとった。ホームページはテレビの1チャンネルだ。私に才能があれば、誰かが拾ってくれるだろう。

この試みは、私の数少ない成功例だった。結果、正社員として安定した稼ぎを得た。また、創作活動の面でも、出版社や広告代理店から何度か声がかかることがあった。これは今でも酔っぱらったときに話す私の小さな自慢だ。(ちなみに、どれも断った。この業界の人間はどれも偉そうな口ぶりで腹が立ったからだ)

それからブログが流行りだしたのが、私が大学に入った直後であった気がする。その頃から、情報化社会における生産消費者は急速に拡大した。ホームページはブログとなり、より大衆に馴染みやすい姿に変わった。mixiが上場したのが2006年ごろと言われる。このころから日本でもSNSが一気に広まった。それからTwitterが広まり、Lineがどのスマートフォンにもインストールされるようになった。Youtubeやニコニコ動画が広まり、まさに、「誰でも作れるチャンネル」の時代が確立された。


Youtubeのトレンドマネージャであるケヴィン・アロッカの講演でこんな事が語られている。

「みんなスターになりたいと思っています。私が子供の頃はそれはとても難しいことのように思えました。しかし今ではWebビデオを通じて誰であろうと、どんな作品であろうと、世界の文化の一部として有名になり得るのです」

上記の講演では何故か流行った「バカバカしい」動画の一例として「Nyan Cat」が紹介されている。

Nyan Catは世界中になった動画で、各国版も作られている。その中には日本版のNyan Catも含まれている、と解説されている・・・が、「Nyan Cat」という名前、また、この特徴的な歌声からすぐに想像が付くだろう。この声は初音ミク(正確にはUTAU・桃音モモ)である。元々、Nyan Catを作ったのは日本人だ。

こんな「バカバカしい」動画が全世界中で再生されるなど、これも誰も想像出来なかっただろう。

ここまで私はバカバカしいと何度も述べてきたが、もちろん、それはほめ言葉だ。一件何の意味もなさそうな、でもなにか人を引きつける何かがある、そんな曖昧なものが、文化も言語も人種も異なる国々で広く再生されているというのは素晴らしいことではないだろうか。ある発端となる特異点みたいなものがあって、そこから生産消費者が細部を作り替え、より洗練したものに進化させ、次々に広がっていく。素晴らしいと思う。

きっと、あと何十年、百年かしたら、企業も個人も混じり合って均一になるだろう。労働階級も管理職も消え失せればいい。素晴らしい世界が待っていると思う。

しかし今は過渡期だ。情報化社会が素晴らしいことで充ち満ちていると思ったら大間違い。私は震災以降、とくにそう思うようになった。

情報化社会と情報の氾濫がもたらす最もひどい弊害はデマである。

震災直後から今にかけては悪質なデマがたくさん蔓延っていて、どれもこれも頭を抱えたくなる。その多くが放射線の影響に関するものだが、私が記憶しているのだけで以下のようなものが挙げられる。

  • 放射線障害にはイソジン・わかめ・ホウ酸が効く
  • 石油精製所の火災によって石油生成過程で算出される汚染物質が雨に混じって降り注ぐ
  • ヒマワリが放射能汚染を除去する
  • 保険会社or健保組合は福島県民の健康保険・入院保険・生命保険の保険料を上げることを検討している・上げている
  • 福島県民が生命保険に加入することを拒まれる事例が多発している
  • 放射性物質に汚染された物質を食べ続けると体に放射性物質が蓄積してガンになる
  • 在日米軍が福島第一原子力発電所への冷却水提供を申し出たが断られた
  • ワンピースの作者がX億円寄付
  • 福島では奇形児の出産率(もしくは流産する率)が目に見えて増えている
  • ロシアの偵察機が日本上空を周回しているのはロシアが放射線量を測定したいため
  • 放射能を除去してくれる食物がある

これらはすべてデマである。特に放射線障害に関するものは、東北産の農作物出荷に関する弊害が大きすぎる。「風評被害」の4文字よりもずっと重大な問題で、これらは国民それぞれがよく認識すべき問題だと思う。

最後の二つはつい最近目にした話であるが、震災から2年も経って、まだこんなデマが生じるのかと思うと頭が痛くなってくる。

「情報が氾濫する世の中で、これから重要になるのは情報の取捨選択ができることです」とは、私が高校生のころの社会の教科書に書いてあったことであるが、まだ多くの人は情報の取捨選択ができない。だからデマが氾濫する。

ワンピースの作者がX億円を寄付、などというのは、それ自体から真偽を判断することが出来ないため、信じてしまうこともあるだろうが、まあ少なくともそれをシェアするときはクロスチェックくらいはすべきかもしれない。

しかし、「放射能を除去してくれる食物がある」などというのは、高校生レベルの化学の知識があればすぐ嘘だと見抜けるはずだ。

同位体元素の化学的性質が等しい」というのは高校の化学で習う(もしかしたら中学かもしれない)、元素の基本的な性質の一つである。

だから、たとえば核兵器を作るために放射性ウランを濃縮するなんてときは、高価な遠心分離器を使ったりして苦労して兵器級の濃度まで高めたりする。放射性同位体だけを選択的に取り出してくれる方法があり、かつ、それが簡単に手に入る食物で実現できる、なんてことになったら、世界中の国が核武装してるだろう。また、日本のメーカーも小難しい輸出法に苦しめられずに済む。

まだ個人が情報発信できない昔のことであったら、これらはだまされた人がバカ、で済むだろう。しかし、これがSNSやTwitterで広められるとしたら?社会に及ぼす悪影響はずっと大きくなる。(昔であっても害悪には違いないかもしれない。「口裂け女」が全国的に広まった事実は興味深い)

トフラーはまた、「21世紀の文盲とは、読み書きできない人ではなく、学んだことを忘れ、再学習できない人々を指すようになるだろう」とも記している。氾濫する情報の中から正しくて価値のある情報だけを抽出することがこれからとても重要になってくるのではないだろうか?

「バカは罪である」。とは、私の好きな漫画「ザ・ワールド・イズ・マイン」の中のセリフだ。そこでの文脈は、他者の気持ちを想像出来ないバカは社会に害を与えるのみなので罪である、という主旨であった。が、誰しもが情報を発信できるようになった今、この言葉が異様にしっくりくると思うのは私だけでは無いはずだ。

情弱」というスラングも流行っている。本来の意味は情報弱者、すなわち、情報機器を使うことが出来ない高齢者などが社会から取り残されていくことを危惧した言葉であるが、転じて、ネットの真偽が定かではない情報や間違っている情報に踊らされて痛い目を見る人間のことを指す言葉となっている。

「情弱」もいまは単なるスラングで、人を小馬鹿にする以上、大した意味を持たないように感じられるが、流行ってきていると言うことは情報の真偽を確かめ、取捨選択する重要性に気づいた人間が一定数居るとも言えるだろう。

情弱にだけはなってはいけない。バカは罪である。