昔描いた絵(2)

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最近は、朝会社を出て夜家に帰ると妻も子供も寝ているので、平日は子供が起きている姿をほとんど見ない。妻が起きている姿すら、1日に20分くらいしか見てないと思われる。

私は最近、切に思うのだけれども、自分はもっとアホであったように思う。

理科とパソコンは好きだったが、まあ、社会とかは大嫌いだった。俺が好きな社会は、第一次大戦以降なんだけど、その辺って適当に済ませちゃうんだよね。近代史をちゃんと学校で教えねーからよー、国防とか安全保障に対して危機感が薄すぎるんじゃねーのかよー。だいたいよー、安易な原発反対もはっきり言うと最初から許せねえんだよな。俺は。原発をやるんか、やらんのか、という問題じゃねーし、東電がクソ企業かどうかという問題でもねーんだよ。

バカはそうやって二元論にするのが好きなんだよな。二元論にすれば簡単だから。しかし、何事も、たいてい二元論では片付かないってのは皆さん周知の事実でしょう。原発をやるんか、やめるんか、ではなく、まず元々がどうやって産業を維持させるか?どのようにして安定したエネルギーを確保するか?というエネルギーセキュリティ上の課題である。エネルギーセキュリティとはすなわち資源を如何にして確保するかという問題であるので、シーレーン防衛、中東情勢、集団的自衛権の行使、海外在留邦人の安全保障、という問題と直結する。ここまで来るともはや地震や原発事故はただの発端であって、ここまでひっくるめた議論をすることが不可欠だと思う。

それをなんですか?日本人は?地震や原発事故を情緒や激情で解決しようとするでしょう?情が悪いと言っているわけではないですが、何なんですか?あの、「絆」とかいう言葉は。それみて、何ですか?「やっぱ、絆だよ・・・」などと涙腺を潤ませてるアホは。絆がメシ食わせてくれましたか?絆が瓦礫かたづけてくれましたか?原発事故のときにサイト内の瓦礫を処理できたのは核戦争を見越して準備されていた自衛隊の装備があったからですよ。線量が高くなってる建屋の中で車のバッテリをつなぎ合わせて電動弁を開閉させてたのは東電社員ですよ。

そもそも原発がなかったらこんな事にはならなかった!とか言うのであればもう戦後からやり直せ。義務教育で原発と核燃料サイクルを推進した経緯を教えろ。高校生レベルで良いから原子物理と放射線医学を勉強しろ。そんでシムシティとシヴィライゼーションを100回やれ。

と、黒霧島を飲みながら思う。いや、だから、俺は別に原発の話がしたいんじゃないんだ・・・。そもそもアホだった話なんだ・・・。ここら辺がもう毒されてるんだよ。何と戦ってんだ、って話。おれもそれは重々承知だ。

黒霧島も一升瓶の半分くらいまで入ってた頃は、子供が一升瓶をいじって遊んでいたのだけれども、軽くなってから遊び甲斐がなく、興味を示さなくなったのだという。でも、私と妻の子であるから、将来のいずれかの時点では、酒に大いに興味を示すときが来るような気がする。

そいで、私はアホだった話なのだ。私は元来、もうちょっとアホな子、いや、かなりアホな子だったのだが、高校3年生あたりから、急にまじめくさったように、微分積分なんか勉強しちゃったりして、今や口を開けば「クラスNPに属する問題は非決定性チューリングマシンが多項式時間で解を導くことができる」とか、「Windows Presentation FoundationでModel View ViewModel設計をするためにはMVVM Light ToolkitやPrism等のフレームワークが不可欠」とか言ってるけども、高校生の時は「肛門と校門は何がちがうの?」とか言ってタバコを吸い、酒を飲んでいた。どうしてこうなった。

そして思うのだが、俺の人生の命題は「アホと真面目の妥結点」を探ることにあるように思えてきた。

アホはビジネスになるか。なるはずだ。もっと日本企業はアホになるべきであると思う。究極のユーザーエクスペリエンスを目指すべきだと思う。たとえば、アホがビジネスになった実例としては、まあ、ギャグマンガとかがあるだろう。言い方は酷いが、落語や漫才もアホの延長線か、すくなくとも似通ったベクトルであるとは思う。

では翻って、それらはアホをビジネスにした実例か?と問われれば何か違う気がする。これらはエンターテインメントの一種であり、エンターテインメントとはそれ自体、元々アホから派生して人々に笑顔を提供するためのものであるから、なんか俺の目指すところとは違う気がする。一番近いのはバーグハンバーグバーグだろう。手がけたサイトの数々を是非見て欲しい。私が言いたいことは限りなくこれに近い。

かなり上から目線で大変恐縮なんですが、それでもあえて言わせてもらうと、「限りなくこれに近い」と言ってるのはつまりこれでも足りないところがあって、それは長期に渡って稼げるビジネスモデルとして成り立っているとは言えないんじゃないか、ということです。いや、ちがうな。これでも説明しきれてないんだ。別にビジネスモデルの話をしたいんじゃなくて、なんつうかな、圧倒的な真面目さに裏打ちされた爆発的なアホ、そういうのがあるはずだと思うんだよな。非決定チューリングマシンと稲中卓球部が交差するポイントがあるはずなんだ。

1枚目の漫画は当社の実話。笑えない。
2枚目の絵はその、アホと真面目の交差点、みたいなものをイメージして昔描いた絵。
3枚目には意味がない。

それをね、子育てと仕事の合間合間に、こう、少しずつ探っていくのが俺が目指すべきところ、みたいな気がする。以上。